原田裕貴

原田裕貴

音楽領域 サウンドメディア・コンポジションコース 講師

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1980年
愛知県生まれ
2000年
国立豊田高専環境都市工学科卒業
2005年
音楽学部サウンド・メディアコース卒業
2007年
大学院音楽研究科修了

在学中より映画、テレビ、舞台、ゲーム、CM等の音楽制作に携わる。

2013年
「VISIONES SONORAS」(メキシコ、モレリア市)映像とのコラボレーション作品
2015年
「Japan-USA: Musical Perspectives Series 6」(ニューヨーク)笙とエレクトロニクスのための作品

最後は「音」

 プロフィールの豊田高専環境都市工学科卒業が目を引く。音楽、とりわけ演奏に関していえば、幼い頃からの英才教育が重要とされるが、異色の経歴である。「環境都市工学科って、コース名はかっこいいんですけど、土木工学ですね。いわゆる伝統的な音楽教育は受けてないですね」。音楽と土木? お話を伺うと、関係ないようでいて、やっぱり関係しているような。「じつは高校受験のときに、音楽科に行きたくて見学に行ったんですよ。そこでこれは無理だと…」。

 母親の勧めで、幼い頃に電子オルガンを始めた。小学校の6年間は電子オルガンを習ったものの、それほどのめり込むわけでもなく嫌々だったという。
 中学生になると、一旦、楽器からは離れる。しかし、不思議なもので、辞めたとたんに何かやりたい気持ちがふつふつと湧いてきたという。「小学生時代に練習した電子オルガンがあったので、この頃から作曲の真似事を始めました。そんな頃、中学校の音楽の先生がシンセサイザーというものを教えてくれて、これがあれば一人でなんでもできる、と思いました」。
 そこで、原田少年は一計を案ずる。定期テストで1番になったらシンセサイザーを買ってくれるよう両親と約束。文字通り、死ぬ気で勉強し約束を果たしたというから、努力家というか、呆れるというか、とにかく能力の高い人である。
 約束通りシンセサイザーを手に入れると、兄が使っていたパソコンを利用してDTMを始め、趣味の曲作りにのめり込んだ。音楽の道に進みたいと考え、高校も音楽科のあるとこへと考えるようになったのだが、見学して早々にあきらめたという。「僕はピアノがダメだったんですよ。電子オルガンとはまったく別物。みんな小さい頃からやっていて、レベルが違う。僕は嫌々やっていたこともあって、楽譜を見るのも苦手だったんです。それであきらめました」。
 音楽への道は心の中に封印し、家の近くの豊田高専環境都市工学科へ進むことにした。「カリキュラムが大学みたいに自由度があって、就職するならつぶしも効くし、それで高専へ行くことにしました。でも、入ってみたもののですねえ…(笑)」。
 高専へ入ると、5歳離れた先輩と接したり、それまでの勉強とは異なる理系の世界に触れたり、大いに刺激になった。また、高専は5年のカリキュラムだが、3年で辞め大学へ進学する学生が多いことも入学してみてわかった。仲の良い友人も3年で辞め、自分がやりたかったことへ向けて大学に入り直していた。
 自身を顧みて、再び、音楽のことが気になった。「高専3年のときに思い直して、音大を受験しようと2年間音楽教室に通いました」。晴れて、サウンド・メディアコース(現サウンドメディア・コンポジションコース)の1期生となる。演奏家よりも作曲家志向、ジャンルにとらわれず音楽に触れられることも魅力に感じたという。
 在学中から音楽制作の仕事にかかわった。映像に合わせて音楽を制作する仕事にあらためて魅力を感じた。「よくよく思い出してみると、幼い頃に『子猫物語』という映画を見たんです。ムツゴロウ(畑正憲)さんが監督で、坂本龍一さんが音楽を付けていました。それがすごくいいなと思っていた記憶があって、たぶん坂本龍一さんの影響が大きいのかなと思います」。

 音楽ビジネスにとって、難しい時代になった。CDの売上は減少、定額や無料で音楽を聴くことができるサービスが増え、音楽でどうやって生活していくか、プレイヤーも制作者も、音楽に携わる誰もが模索している。演奏家はライブに活動の中心を移しつつある。楽器の演奏だけでなく、DJやパソコンを使いその場で音楽を作り出しライブ感を出す方法もある。
 では、作曲家はどうだろうか。「難しいですね。映像系の音楽では、すでにAIが結構なレベルまで来てるんですよ。映像に合った雰囲気の曲をコンピューターが作ってしまう時代が来るだろうといわれています。そうしたところで作曲家としてやっていくのは難しいだろうと思います。ただ、音楽に限らずコンピューターを使って制作されたものは、表面的にはいいものの、面白かったり、残ったりするものではないように感じることがあります。コンピューターを使い、見えない部分を機械に任せて作るんですけど、本当はそこをしっかりやらないと残るものは作れないのではないかと思っています。例えば、やってはダメといわれていること、ただそれを守るだけでなく、その理由を深く考える。理にかなっているところがたくさんあって、それを知っているか、感じているかじゃないかと思うんです。他人やAIと自分を差別化するとしたら、そんなところかもしれません」。
 「違うアプローチをするという考え方、これは高専のときですね。理系の考え方を覚えました」。発想は天から降りてくるものではないし、ものを作ることは感覚的なことではない。常にトライ&エラーを繰り返し、考えて、考えて、作るものだという。「トライ&エラーが簡単にできるようになったのはデジタル化の恩恵です。今は、思いついたことをすべて実験できる時代です。そういう時代だからこそ、やはり音楽以外のことを知っていたり、深い考えを持っていたりすることがとても重要ではないかと思います。やはりリベラルアーツですよ」。音楽を作りたい人は、音楽の勉強だけではなく、音楽以外のことにも関心を持つことや学ぶことが大事だという。
 これまで多くの作品が世に出た。しかし、まだ自信作だと胸を張れるものはないという。「最終的には『音』で勝負です。人間の意識とは別の次元、理性よりももっと根源的な部分。そこに伝わる音。音で勝負したいです」。音楽への熱い思いを感じた。

小さい頃から人見知りでした

1989年 小学3年
電子オルガン発表会
当時は本当に嫌で嫌でしようがなかった…

2002年 大学2年芸大祭
サウンドメディアの同期と出演。音響さん(右)と事前打ち合わせ中。生演奏+コンピュータの伴奏は、当時の芸大祭出演者ではあまりいませんでした

2004年 大学4年コンサート
大学の演奏会「ザ・ルネッサンス21」にて。この演奏会があったおかげで、在学中に4曲もオーケストラ作品を発表できたことは非常に大きな経験です

2008年 助手の頃 セミナー会場の清泉寮にて
2009年に発売された「アークライズファンタジア(Wii)」の音楽を制作中で、このような規模の大きい仕事ははじめてだったので、とにかく必死でした

2013年 メキシコにて
メキシコでのコンサート後。右からギタリストの佐藤紀雄さん、現地スタッフのジョアオさん、僕、田中先生

2015年 ニューヨークにて
ニューヨークでの演奏会のプレイベントの様子。右から僕、クラリネット&篳篥奏者のトーマス・ピアシーさん、笙奏者の中村華子さん

パソコンのソフトウェア音源は、かなりリアルな表現ができるようになってきたとはいえ、それだけでつくられた音楽には魅力が宿らない気がします

Inexplicable owl
2014年に名古屋芸術大学の教員と卒業生が作曲家グループを立ち上げ、毎年作品演奏会を開いています