鳴海康平

鳴海康平

准教授
舞台芸術領域 舞台プロデュースコース
音楽領域 ミュージカルコース
劇団「第七劇場」代表・演出家
民間劇場「Théâtre de Belleville」芸術監督

1979年
北海道生まれ
1999年
早稲田大学第一文学部在籍中に劇団を創設
2002年~
劇作から離れ、演出に専念
2012~13年
ポーラ美術振興財団在外研修員(フランス)としてパリを中心に活動
2014年
三重県津市美里町に拠点を移設、民間劇場 Théâtre de Belleville を開設
2015年~
愛知県芸術劇場主催 AAF戯曲賞審査員

人が人に触れること

 新型コロナウイルスの蔓延は社会を大きく変えた。授業や打ち合わせはオンラインに、実際に人と会うことも減り、コミュニケーションは変質した。逆に動画を見る機会は増えた。これまでなら実際に見てみないとわからないようなハウツーやノウハウはYouTubeにアップされ、知識や情報の拡散速度は一段と増した。実際に会ったことのない人からSNSを通して依頼を受け、最終のアウトプットもWebで完結ということも増えた。実際にものを作るのではなく、データを制作して納品する。美術やデザインの分野に限らず、配信が主流となった音楽でも状況は変わらない。作品はパッケージ化されることはなく、データとしてのみ存在する。コロナ禍により、これらのことが進んだとも言えるが、遅かれ早かれ到来することが予想されてきた未来でもある。さて、演劇である。コロナ禍でもっとも影響を受けた領域であることは言うまでもない。演者がいて、観客がいて、一堂に会する劇場があって、はじめて舞台は成り立つ。会うことを禁止された今だからこそ、その価値が一層重要になったようにも思われる。
 「人が集まって何かをする、そこには表現の自由や多様な価値観、生き方の多様化や性の多様化も現れると思います。いろいろな人がいて、それぞれに違いがあります。もちろん自分とも違う。ネットの世界だと、ある一つのものに対してYESかNOか、その選択だけを迫る傾向があります。SNS上での炎上も、その傾向が助長しているようにも感じます。でも、実際に人と直面していると強くは言えません。ブレーキを踏むと言うと変かもしれませんが、言葉を選んで伝える方法、ブレーキとアクセルの踏み方はリアルだからこそ学べる。実際に会うことの有効な意味の一つだと考えています」。

 もちろん、対面することや直接人と会って話すこと、演劇を見て疑似的な体験をすることで直接的に得ることはたくさんある。でも、もっと本質的に人間が欲する事柄でもあるように感じる。レコードをアナログプレイヤーで聞いたり、フィルムで写真を撮ったりすることには、ノスタルジー以上の何かを感じているような気がしてならない。
 「音楽や演技、あるいはダンスも同じだと思いますが、エンターテインメント向けの作品の場合、わかりやすい価値観が提示されます。単純に面白かったや、今回はこの前よりもちょっと微妙だった、みたいな反応が出てきます。それがもう少し価値体系が複雑な作品になってくると、あるシーンのある言葉でちょっと嫌な気分になったとしても、一緒に見た友達はそうは思わなかった、というようなことが頻繁に起こります。価値観を広げたり、共有するトレーニングとして舞台芸術は役に立つのではないかと思います。ルネサンスの時代から、演劇は社会の価値観の変化を反映させて作られてきました。社会の価値観に合わせて変わっていきますし、ときには社会を引っ張っていくような場合もあります。以前にくらべると演劇は多くのスタイルで上演されるようになりました。先鋭的でコンテンポラリーな作品ももちろん重要ですし、それがあるからこそクラシックな作品の意義がある。いろんなアーティストがいて、さまざまなスタンスがあり、いろいろな社会と観客に接していくことができる。そのことが大きな魅力だと思います」。

 舞台は見ている人によって異なるものを見ている。映像作品のように制作者によって編集されたものではなく、座る席の場所、視点の置き方は人それぞれで、観客ひとりひとりが同じ舞台でありながら違っているのが舞台である。複雑な価値体系を持つ作品であるならば、視点だけでなく見る人の知識や経験によってその解釈も異なってくる。劇場へ実際に足を運び、舞台で行われていることのどの部分を注視するか、映像作品よりも舞台は観客の能動的な参加を必要とする。さらに、鳴海作品では「見立て」が使われる。最低限の舞台装置は、シーンに応じ異なった役割を果たし、さまざまな場面を構成する。見る側の想像力が試されているようにもときには感じる。
 「村上春樹さんがわかりやすい言葉で複雑な世界を書く、というようなことをおっしゃっていますが、自分でも、視点をたくさん持っている人には解釈や見え方が広がるような舞台を作りたいと思っています。入り口としての面白さと、そこから入った先で、また違った見え方が体験できる作品を目指しています。はっきりした価値観やメッセージのある作品にひとは集まりやすいですが、メジャーではなくても出会えて良かったと思える個人的な作品が誰にでもあると思います。多様な価値観がある今の時代、私たちの作品がそういう記憶や体験の一つになれたらと思います」。

 「人が人に触れること、子供や恋人、他人の身体や心に触れること、他人の存在を感じること、それが苦手だという人もいていいのですが、人が一緒にいて感じる満足感や安心感みたいなものがあります。これは、同じ時間同じ場所に集まって、隣に他人が座りながら見る舞台芸術の魅力と関係していると思います。根源的に人間が持っている好きな人やモノと一緒にいたいという気持ちと似ていると思うんです。舞台芸術の未来においても、社会の未来においても、その部分をもっと大切にしていかなければと思います」。
 舞台に限らずすべての領域においてデジタル化が進む。その中で、どう考えてどこへ進むか、誰もが問われている。鳴海氏の言葉は、ひとつの答えのように感じる。

「メデイア」(2022)※2022年12月上演

「かもめ」(2014・Experimental Theatre, 台湾台北市)

「それからの街」(2017・愛知県芸術劇場)©︎松原豊

「ワーニャ伯父さん」(2020・宮崎県立芸術劇場)

「桜の園」(2021・三重県文化会館)©松原豊

「oboro」(2022・名古屋芸術大学 東キャンパス3号館ホール)