名古屋芸術大学

特集

 普段、講義を受けている先生から専門の研究テーマについて話を聞いたことはあるでしょうか? 芸術大学という特性から作品展や演奏会で先生の作品や演奏を目にする機会には恵まれていますが、研究発表というとどうでしょう。思い浮かばないのではないでしょうか。
 本学では、教員の研究テーマや研究活動を公開する「私の研究を語る」という特別な研究発表が定期的に開催されています。これまでに14回、各学部の教員がそれぞれの研究テーマについて発表を行っています。今回は、主催者である全学図書委員会にお話を伺い、この特別な研究発表「私の研究を語る」について、ご紹介します。

研究を世に知ってもらい、
自分たちも襟を正し質の向上に努める
溝口 和夫 【図書館長 デザイン学部教授】

-どのような経緯で始まったものですか

そもそも教員同士がそれぞれの専門分野についてそれほど把握しているわけではないので、そのことについて一度話し合いたいというのが、始まりです。教員は、会議、自分の講義と、時間に追われているのが現状です。自分に近い分野以外の先生方が、どんな講義をして、どんな分野に打ち込んできたか、なかなか知る機会がないんです。それで、そういった研究会をやって、ざっくばらんな意見の交換をして、親しくなりたい。そんな趣旨から始まっています。

-先生同士の交流がもともとの趣旨なんですね。

もう一つあります。それは、第三者評価を受けることです。大学というのは教育研究の質の確保のため、自己努力を負っています。自分たちがやっている研究を、自分たち自身が発表し発信していく。研究を世に知ってもらい、自分たちも襟を正し質の向上に努める、というようなことが大学の改革として必要とされているわけなんですよね。そういった考えも背景にはあります。ただし、今のところ告知などあまりできていない状況なので、研究者同士のものになっています。

-先生同士の関係が良くなることで大学の質も上がるということですね。

実際のところは、なかなか見えないところを見たいというのが一番の趣旨なんです。芸大というといろんな研究者がいらっしゃいますから。そうして、それで親しくなりたいわけですよね、私たちが。自分たちの専門のところでこういうことをやっている人なんだと。そういうことがわかると、学校の運営の面でも一体感が生まれて、いい面が出てくると考えています。これまではそういった機会がなかなかありませんでした。

-講義はどんなふうでしょうか。聴く側は、先生が中心であっても、例えば、デザインの先生にとっては、音楽や人間発達の専門分野は全くの門外漢ですよね。興味を持って聴けるものなのでしょうか。

そこは、意外にうまくいっています。いつも聴講される常連の人がいたり、ずいぶん鋭い質問をする先生がいたりしますしね。非常に専門的なことは、近いところを研究している人にしかわからない面もありますけど、それでもそれなりに深まっていくものだと思っております。発表する方も緊張して、準備してやってます。でも、聴いてみるとですね、あったかい雰囲気ですよ。

-これまで先生がお聴きになって印象的だったものは?

全部に出席してるわけではないですけども、そうですね、水内先生の「Relation in Design『関係性』からデザインを考える」、なかなか面白かったですね。田中先生の現代の作曲なんていうのも面白かったです。現代音楽というのは、ちょっととっつきにくいところがあるじゃないですか。それを実際に演奏、音楽を聴きながら、それについて良い説明をしてくれたんで、理解しやすかったんでしょうね。

-学生はどれくらい聴きに来ているのでしょうか

講義自体が、多いときでも60〜70人程度で、学生はその1/3といったところです。学生に、閉ざしているわけではないのですが、学生までは照準に入っていないという感じですね、取り組み自体が。学生を意識してするというより、まだまだ学内の先生方というのが中心になっている。ただ、もう少し広げてオープンにしていっても全然かまわないものです。学外から来られたとしても問題ないないです。我々にしてみたら、絵でも、音楽でも、自分たちの哲学みたいなものを発表できる機会ですから。これを機に、多くの人に関心を持っていただければと思います。

「私の研究を語る」これまでの講義

第1回 2009.6.24

人間発達学部教養部会 講師

東條文治

縞模様に刻まれた地球史、生命史 —アフリカ、ロシアでの調査から理科教育まで—

第2回 2009.11.25

美術学部 アートクリエイターコース 版画コース 教授

西村正幸

美術を読む —「たとえ」に満ちている世界—

第3回 2010.3.3

名古屋芸術大学学長 音楽学部 音楽文化創造学科 教授

竹本義明

地域公共ホールのマネージメント

第4回 2010.5.19

デザイン学部 メディアデザインコース 講師

竹内 創

引き伸ばされる時間

第5回 2010.7.21

人間発達学部 子ども発達学科 教授

佐藤勝利

エンターカウンター・グループの治療的意味 —キャンパスエンターカウンター・グループを通して—

第6回 2010.11.17

美術学部 洋画2コース 准教授

須田真弘

自作品の紹介 ロンドン海外研修その後

第7回 2011.1.19

音楽学部教養部会  講師

茶谷 薫

形・動き・自然

第8回 2011.5.19

デザイン学部 ライフスタイルブロック デザインファウンデーション 講師

水内智英

Relation in Design『関係性』からデザインを考える

第9回 2011.7.20

人間発達学部 子ども発達学科 教授

金田利子

私の人間発達研究史 —発達に定年なし—

第10回 2011.11.16

美術学部 美術文化コース 教授

前田ちま子

MUSEUM EDUCATION IN AMERICA ニューヨーク近代美術館とその周辺

第11回 2012.2.29

音楽学部 音楽文化創造学科 教授

田中範康

現代の作曲について

第12回 2011.5.19

デザイン学部教養部会 教授

Steve McGuire

Learning Language Cooperatively Through Art-Based Tasks

第13回 2012.10.3

人間発達学部教養部会 准教授

森田裕之

〈人間になること〉と〈人間を超えること〉 —人間の変容について考える—

第14回 2012.11.21

美術学部教養部会 講師

西村和泉

サミュエル・ベケット —〈マイナー〉なノーベル賞作家—

1. サミュエル・ベケットとは

 サミュエル・ベケット(1906-89)はアイルランド出身の作家で、英語とフランス語を用いて小説・戯曲・詩・映画の創作を行いました。1953年にパリで上演された『ゴドーを待ちながら』が代表作として知られています。いつまで待っても姿を現さない「ゴドー」という謎の人物を描いたこの作品によって、ヨーロッパでは不条理劇の作家とみなされています。1969年にノーベル文学賞を受賞しました。

2. ベケットとの出会い

 大学3年生の時にフランスに一年間留学したのですが、たまたま立ち寄ったパリの古本屋で、美しい装丁にひかれて読んでみたのが『ゴドーを待ちながら』の原書でした。「読んだ」というより「読めた」ことがきっかけです。留学しても思うように語学力が伸びず、授業でバルザックやプルーストの小説を読む課題が出ても、数行読むのに精一杯。慣れない外国での生活に疲れて、パリの街をさまよい歩いていた時に出会った『ゴドーを待ちながら』のフランス語はするすると頭の中に入ってきて感動しました。しかも、メインの登場人物はたった二人で、三人以上出てくる戯曲を読むとどうしても混乱してしまう私にはぴったりでした。それから今日に至るまでの20年近く、ベケットにどっぷり浸かる生活になりました。

3. ベケットは<マイナー>?

 マイナーを強調した理由は二つあります。
 一つ目は、ベケットがカフカ(チェコ出身のドイツ語作家)と同様に、母語以外の言語で執筆を行った移民作家であるというマイナー性を考慮したためです。ベケットは30代の初めに故郷ダブリンからパリに移り住み、ほぼ全ての作品を英仏二言語で執筆しました。アイルランドの母国語は元々ケルト語なのですが、政治的な理由から大国イギリスの言語である英語で執筆し、さらには文学の歴史的伝統があるフランスに移り住んでフランス語でも執筆したことで、ベケットはメジャーな言語の担い手となり、ノーベル賞の受賞に至ったものと推測されます。とはいえ、彼の著作は「フランス文学史」に含まれているものの、パリの書店では外国人作家のコーナーに置かれていることも多く、その位置づけは曖昧です。ベケットが作品の中で好んで描いたのが「境界」や「溝」のような中間地帯なのですが、アイルランドとフランス、母語と外国語、自己と他者といった、相反する二項の「間」に意識的にとどまることで、特定の国や言語や宗教から切り離されて生きざるをえない人々に寄り添って書き続けた作家なのではないかと考えられます。
 そして二つ目は、私個人の切ない経験にあります。これまで「ベケットが好きで…」と周りの人に言うと、「その人は、誰?」で話が終わってしまうことが多く、大学院生だった時の授業の発表でベケット作品をクラスメートに見せた時には、「ちょっと変」と引かれてしまい、夫からもたびたび「頭、大丈夫?」と聞かれていたのですが、今ひとつその意味が分かっていませんでした。5年前に名芸大に奉職させて頂き、異文化入門の授業で張り切って映像を流したところ、「気持ち悪かったです」「夢に出てきてうなされました」という感想が返ってきたことで、「私の研究している作家は、もしかしてマイナー?」と初めて気づいたのが理由として挙げられます。土の中に腰まで埋もれた女性が語る『しあわせな日々』、マシンガントークを繰り広げる「口」が登場する『わたしじゃない』など、ベケット作品には取り立てて劇的なストーリーがあるわけではなく、語られる内容はとりとめのない日常世界なのですが、そのベースとなるコンセプトや舞台設定が「どことなく不自然」というところに特徴があります。しかしながら、舞台を繰り返しじっくり見てゆくと、その不自然な設定が妙にリアリティを帯びてくることに気づかされます。この世界を「スタイリッシュで美しい」と信じこんだ20歳の私は、狭い場所に入るのが大好きなベケットの登場人物さながら、アパートの一室にこもって日の光をほとんど浴びず、デートもせず、作品を読みふけるという生活を10年間送ってしまいました(後悔しています。名芸大生の皆さんには決しておすすめしません)。本学で過ごさせて頂く日々の中で、心身共に健康的になり、自分の研究も少しは客観的に見られるようになったのではないかと感謝しています。

4. 『ゴドーを待ちながら』の草稿研究

 「さあ、もう行こう」「だめだよ」「なぜさ」「ゴドーを待つんだ」「ああそうか」(二人は立ち尽くす)。こんなやりとりが繰り返される『ゴドーを待ちながら』は、木が1本生えているだけの舞台で、ゴドーを待ち続けている二人の浮浪者を描いた戯曲です。一幕が大体40分で、一幕の最後まで観客もゴドーが来るのを待つのですが結局来ず、二幕もほとんど同じ会話が続いて結局ゴドーは来ないので、この演劇が初めてアメリカで上演された際には、客の大半が怒って席を立って帰ってしまったと言われています。しかし、色々と調べてゆく過程で、この一見シンプルで筋のない作品を生み出すために、作者がとてつもない試行錯誤を行っていた事実を知ることになりました。
 現在取り組んでいるのが、ベケット作品の草稿研究です。作家の中には出版前の原稿を残さない主義の人も多いのですが、ベケットは直筆のノートや手紙、構想メモ等を全て残しています。『ゴドーを待ちながら』の草稿はフランス国立図書館に保管されているのですが、これまで詳細な解読がなされていませんでした。従来の研究では、ゴドー(Godot)は神(God)のもじりであって、「神の死後も神を待ち続ける二人を描く終末論的喜劇」であるという解釈がみられましたが、『ゴドーを待ちながら』の草稿を読むと、「ゴドー」という固有名は元々書かれておらず、原題もただ単に『待つ』であったことから、二人の浮浪者が待っていたのはゴドーではなく、ストーリーの中心にあるのは彼らの関係性そのものであって、互いに支え合いながら終わりなき日常を生き抜く知恵こそが重要だったのではないかという仮説を立てて論証しました。また、草稿と出版稿の比較だけではなく、ベケットはほとんど全ての作品を英語とフランス語で出しているので、その二つの版の比較も研究の対象となります。一作品の二つの版を比べると、削除や加筆が多々みられ、登場人物の名前や年齢が異なっていたり、登場する順番が入れ替わっていたりします。作者がなぜそのような「書き換え」を行ったのかを調べることで、創作行為と意識との関わり方や翻訳不可能性の問題が解き明かせるのではないかと期待しています。

5. 今後の取り組み

 カナダのサーカス「シルク・ドゥ・ソレイユ」の研究をはじめ、アフリカ文学やベルギー文学にも取り組みたいと考えています。また、アルゼンチン出身の劇作家兼俳優で漫画家でもあったコピ(1939-87)の作品にも興味があります。フランスでは『冷蔵庫』(Frigo)という戯曲がよく知られています。ベケット研究とサーカスやコピに共通するのは、たとえ母国や母語や固有名といったアイデンティティを支える要素から疎遠な状況におかれていても、何らかの形で生きのびる方法を探る姿がみられる点です。サーカスのテントは、ある日どこかに忽然と現れて跡形もなく消えますが、その内側で繰り広げられる世界は人々の記憶と想像力に強く働きかけるエネルギーを持っています。根無し草の状況は決して儚く否定的なものではなく、たとえ閉じた小世界にこもっていても「想像力の根」を伸ばして外の世界と結びつくことが出来るのではないかと考えています。  このように日のあたらない研究をしている私ですが、今後はもう少し日の光を浴びて体力をつけ、皆さんに迷惑をかけない範囲で、ポジティブにマイナーにこだわり続けたいと思っています。

アラン・バディウ(西村和泉訳)『ベケット』

『ゴドーを待ちながら』の原書

『ゴドーを待ちながら』

ベケット草稿

『わたしじゃない』

シルク・ドゥ・ソレイユ

コピの作品

 学生にとっては少々専門的すぎる内容といえるかもしれませんが、日頃、教わっている先生の専門分野の話が聴ける貴重な機会といえそうです。先生が他の先生に対してプレゼンテーションを行うのを実際に見るということも、大いに参考になるのではないでしょうか。お話を伺った溝口先生は「大学の財産は、先生たちの研究と学生たちの作品、演奏活動、成果などです。こういった発表の場が一番楽しく強力に推し進められないことには大学の発展はない」と仰っていました。まだまだ小さな規模でしか行われていない講義ですが、心置きなく研究成果に対して自由闊達な意見交換のできる場を大切に育んでいっていることがわかります。講義の雰囲気に触れてみるだけでも有意義なのではないでしょうか。