名古屋芸術大学

NUA OB

菅野謙一(すがの けんいち)

小学校教諭

会長を務める
名古屋芸術大学 人間発達学部同窓会

1988年
愛知県生まれ
2011年
人間発達学部 子ども発達学科卒業
2011年9月〜
弥富市内 小学校勤務

卒業後、9月から愛知県弥富市内の小学校へ常勤講師として着任。以降、同小学校へ勤務。2012年、採用試験に合格。人間発達学部同窓会、初代会長も務める。

先生の仕事って、大変な仕事ですが、自分にしてみれば、そんなに大変というわけでもないんです。本当に好きでやっているので、たぶん大変だと思えないんですよ。できないこともたくさんあるし、できてないこともたくさんあるし、だけどそれが大変だとは思わない。楽しいんです。

「わかった!」がこんなにうれしいとは

 スーツに合わせたクロップドパンツ、ドレッシーなクレリックシャツと、小学校の先生という言葉のイメージよりもずっと、お洒落な男性が現れた。とても大柄で、聞けば身長は182cm。子どもたちにとってはこわい先生だと想像したが、そうではないようで、話す言葉は何とも楽しげ。いつしか威圧感は薄らぎ、気心知れた従兄弟とでも話をしているような和らいだ気分になる。きっと、子どもたちからも「兄ちゃん」といった感じで慕われていることだろう。本学人間発達学部の第1期生で、現在は弥富市の小学校で3年生のクラスを受け持っている。「採用試験は、3回目でやっとですよ。そのときの教頭先生に『ここで受からんと知らんぞ』みたいにいわれました」

 小学校の先生を目指す場合、教員免許は取得できても採用試験で足踏みしてしまうことは誰もが知るところ。菅野さんも、ご多分に漏れず、在学4年次に受験した試験は不合格となった。「落ちてしまったので講師の仕事を探して、教育事務所へ講師の登録に行きました。津島市には海部教育事務所がありまして、友達と一緒に行って、一緒に書いて、一緒に申込書を出したんです。でも、どういうわけか僕のところには連絡が来ない。友達のところへは来ているのに、僕には講師の仕事が来ない」 後に、記入漏れがあったのか不手際からか登録されていなかったことがわかるのだが、卒業しても仕事が決まらなかった。そんな折り、声をかけてくれたのが恩師だった。「伊藤孝照先生が『お前、どうなっとるんだ』と中ぶらりんになっていった僕に気をかけて下さり、以前、校長を務めていた小学校の講師の口を紹介して下さったんです」 その小学校では、出産で休業する先生がおり、後任を9月という半端な時期から探していたのだった。運良く、行き先のなかった菅野さんに話が舞い込んだ。「もう、すがるような気持ちで引き受けました。本当に感謝しています。不思議な縁で今の小学校に赴任することになりましたが、今思えば登録されていなかったことが良かったのかと思いますよ(笑)」

 学生時代にいくら実習を重ねても、実際に教師となって子どもたちに接するのは違うものだろう。どんなことが違うのか聞いてみた。「全然違いますよ。何が違うといわれても、全部が違う気がします。でも、逆にいえば、こんなにうれしいんだと思うことがものすごく違いましたね」 児童に教える喜びはひとしおと語る。「楽なことは一つもないのですが、子どもたちと過ごしていくことが本当に楽しいんです。『わかった』といわれることがこんなにもうれしいことなんだと知りました」 話しながらも笑顔がはじける。教師という仕事に、いっそう魅了されていることがひしひしと伝わってくる。「こんなことをいうのも何ですが、学生時代に、もっと授業に出ておけば良かった(笑)。大学のときの授業を振り返ってみると、校長先生を経験された先生やこれまでにもいろいろな大学で教えてきたプロフェッショナルの授業を、児童として受けることができるわけじゃないですか。こんな素晴らしいことないですよ! 今さらなんですが、社会に出て自分で授業をするようになると、なんてもったいないことをしていたんだとつくづく思います」 教育者として、教壇に立つ身としての率直な意見にうなずかされる。

 自分のクラスでは、子どもたちに、たくさん話させることを心がけているという。「話すことはコミュニケーションの基本ですから、どうでもいような話しでも何か声を出させるようなことを考えています。それが良いのか悪いのかはわからないですが、とにかく話をしようと、声を出させようとやっています。僕が話し好きということもありますが」 たしかに菅野さんは、気軽に話しやすい人好きするタイプ。気軽なコミュニケーションの積み重ねが、友を寄せ、恩師の気を引き、現在に結びついたに違いあるまい。楽しげに話す表情の向こうに、元気にはしゃぐ子どもたちが見えるようだった。

これから先いろんな人に会うから、いいなと思うことがあったら、そこのところだけまねしていけばいい。その人がどんなに偉い人でも、おかしなことをいっているな、自分に合わないなと思ったら、やめればいい。そういうこと教えていただいたのが、大学だったり、自分の親だったり。それを子供たちに伝えていってるだけですよ

講師1年目に受け持った児童の4年生修了を記念して作成したジグソーパズル。41枚(児童40人+教師)に分けられていてクラスが変わろうが、卒業して学校が変わっても4年2組であったことを忘れないように思い出に子どもたちが作りました。将来、同窓会など開いたときにみんなが持って集まれるといいねと話しながら渡しました。今でも自分にとっては大事な宝物です。

講師2年目、初めて4月からの学級経営・初めての一年生でとても苦労しました。しかし子どもたちはいつも笑顔で自分と向き合ってくれました。最後のお楽しみ会の時に黒板に自由に書いていいよと伝えたら真っ先に『ありがと 先生』と書いてくれました。その一言でこの子たちの担任でよかった。担任ってすばらしいと思いました。

子どもたちによく話すことは、箸の持ち方、茶碗の持ち方、やるときはやる、そういったことです。自分が子どもの頃できていなかったことなんで、それをみんなに教えてあげるよという感じでいいます。やれよっていうのではなく、先生もこうやっていわれてたんで頑張ってやんなよ、絶対大人になってから得するよって教えてあげる感じです。でも、結構、細かくグジグジ小言をいってるかも(笑)

ピアノには苦労した。「18歳になってから始めたので苦労しました。まず、『ド』の音がわからない。ピアノは1年で終わるところを 4年かかりましたね(笑)」

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