走り続けて
「僕は、現場で経験を積んできたタイプですね。いろいろな勉強の仕方があって、大学を卒業してから海外へ留学するのと、すぐ現場に立つのと。ウィーンに行ってドイツに行って……。僕もそれがよかったんですけど、すぐに現場に立つことになりました」
コンサートマスター、第1ヴァイオリンの首席奏者で楽員全体の指導的立場にあり、指揮者とオーケストラの橋渡しを行い、意思の疎通を行う。ときには指揮者の代わりを務めることもある。そんな重責を、かれこれ25年以上も担ってきた。現在も教鞭を執りながら、プロの演奏家として舞台に立つことに強いこだわりを持つ。
「分岐点は、高校2年のときにありましたね」 幼いころからヴァイオリンを始める。名古屋市内で生まれ、中学を卒業するまでは名古屋で育ったという。初めて音楽を習ったのは歌だったが、ピアノとヴァイオリンは、30年ほど後に名古屋芸大のグループ校となる名古屋音楽学校だったというからこれも縁である。歌を習い始めたものの、すぐにピアノに変わり、ヴァイオリンに変わった。「僕はピアノがあまり合わなくて、練習も嫌いで。教室ですからいろんな楽器をやっていました。そこでヴァイオリンを見て、あれをやってみる、となりました。その後、ここにもいらっしゃった近藤富美子先生にも習っていて、縁を感じますよ」 一途に、ヴァイオリンに進んだかといえばそうではなく、中学に入ってからヴァイオリンを止めてしまい、再開したのは高校2年のときだった。「高校の進路指導があって進学としたんですが、端的にいって成績が悪かった(笑)。先生に『お前、なにか手に職はないか』と聞かれ、ヴァイオリンだと。それで、再び弾き始めました。そうして音大に進みますが、そのときから演奏家になっていくのだろうと。ほかにつぶしが利かないですからね。自然とそうなっていました」
プロとしてのデビューは、大学2年のときだった。「初めてのオーケストラからの仕事は、名フィルから来ました。当時は、慢性的にどのオーケストラでも人手不足で、そのときはヴィオラでした。喜んで新幹線に乗って名古屋へ行きました、故郷ですしね。曲は、ストラヴィンスキーの春の祭典。めちゃくちゃ難しい。外山雄三さんの指揮だったんですけど、全然弾けなくて、『とりあえず、ここに座っていて』と弓を浮かせて、エアーですよ。全体の1割くらいしか音を出してないかったですね。二十歳のときの散々なプロデビューです」 その経験が糧になったのかと問えば「やっぱりあんな経験ないですから、奮起というか、自分で何とかしないといけない、勉強もしなきゃいけないと、思いましたね。ドボンと水の中に放り込まれたようなものです。あの頃は、プロのオーケストラといってもそんな調子でした。とにかく経験して、オーケストラってこういうものなんだ、こういう曲があるんだと。最初は、訳がわかりませんでした」 ほろ苦いデビューだったが、それでもその後、何度も呼ばれて演奏に参加、そのまま演奏家としてやっていくことになった。
プロになって感じたことは、演奏会の多さと忙しさ。学生のころとはペースが全く異なっていた。「学生のころは半年で1曲仕上げるとかですよね。僕の行った学校は定期演奏会が年2回ほど、たくさん練習してやっとこなして、といった感じでしたが、卒業したらその10倍くらいはやらなきゃいけなくなりました。オーケストラに入るとたくさん公演がありますし、僕、個人としても男性の演奏者が少なかったこともあって、いろいろなところから頼まれたりして、年間150以上の公演をやりました。なにしろ体力が必要ですし、知らない曲もいっぱいあったし、意識は違うし、クオリティも必要だし、とにかく何とかしないといけないので大変でした」
30歳のとき、関西フィルにコンサートマスターとして加入。当時は月に17回もの公演をこなしたという。「コンサートマスターなんていいますが、中間管理職ですよ(笑)。今ですと大体、オーケストラだと年間100回くらい公演があります。オーケストラに指揮者が付いていますが、外から指揮者が来られる場合も多く、それが年間40、50回。はじめまして、といって合わせてから、普通3日後には演奏会です。音楽なので、おおよその常識はありますが、指揮者にもオーケストラにも個性があります。コンサートマスターの仕事は、指揮者の要望にどう応えるか、接点を見つけて、落とし所を見つける役ですね。リーダー役でもあるのですが、リーダーというより完全に中間管理職です」 オーケストラのキャラクターについて伺えば、名フィルは和やかで生真面目、関西のオーケストラは個々の自己主張が強く、とりあえず何かいわないと気が済まないフラットな団体、東京はオーケストラが組織化され指揮者と話がしたい場合でも、まずパートリーダーに話し、パートリーダーがコンサートマスターに上げ、休憩の時間に打ち合わせをする、という手順になるそう。これらのことを、電車を待つときのホームの並び方に例えて教えてくれた。名古屋は、関東よりは西よりだが、関西よりも少し礼儀正しいそうだ。
学生や若いオケマンと接していて感じることがあるという。「人間としても演奏としても、型にはまるというか、妙に空気を読んでしまうことを感じます。自分の考えはどうなんだというときに、もうひとつ自発性に欠けるところもあります。オーケストラなんかでも、指揮者のいうことを待っているという場面が増えたような気がします。名古屋とか東京とかでなく、全国的な傾向です。人と一緒にやるということは、自分の考えはこうだとディスカッションしていいものに仕上げていくことで、それが楽しさでもあります。そのため、一時的に衝突があったとしても、しかるべきことだと思います。それを事前に避ける、そんな感じがします。ちょっと残念ですね」 最前線に立つことにこだわり続ける者の言葉は、今の現場を的確に伝えていた。走り続ける重さを感じた。