Master to Artist

44号(2018年7月発行)掲載

丸岡慎一
まるおか しんいち

デザイン領域 イラストレーションコース
デザインファンデーション担当

1973年
神奈川県生まれ
1998年
多摩美術大学大学院美術研究科修了
2005年
第21回ニッサン童話と絵本のグランプリ大賞受賞
ボローニャ国際絵本原画展入選
第21回ニッサン童話と絵本のグランプリ
大賞作品「しろいみち」出版
2006年
ボローニャ国際絵本原画展入選
2009年
ボローニャ国際絵本原画展入選
2012年
KAMIKOANI PROJECT AKITA 2012(秋田県)
大地の芸術祭 越後妻有
アートトリエンナーレ2012(飛び地開催)
『ひとりぼっちの卒業式』
2013年
KAMIKOANI PROJECT AKITA 2013(秋田県)
アーティスト・イン・レジデンス『I’m happier than you!』
2014年
現代地方譚2(高知県須崎市)
アーティスト・イン・レジデンス『kaminokae』

2000年から、高校の非常勤講師、専門学校教師、大学講師として、長崎、北海道、秋田、高知、愛知を移り住む。教鞭を執るかたわら絵本作家、イラストレーターとしても活躍。美術教育、地域振興などにも広く携わる。

美術の影響力

 手に取った絵本。絵本というよりはアートブックといったほうが適切だろうか。絵本というと子供のためのものであるが、絵本を作る作家も出版する側も子供にはできる限り良いものを与えるべきと考えるためか、大人の鑑賞にも堪えうる良作が数多くある。むしろ、成長した人間でなければ、そこに含まれている物語、絵、考えや感情、社会性を理解することができないようなものもある。丸岡氏が作り出す絵本は、子供もさることながら、大人の感性を揺さぶるような作品である。「いわゆる、売れ筋の絵本みたいなものとは少し違うんですね。あまり売れないですけど……。バランスが難しくて、日本では売れ線の絵本を作りつつ、海外ではアート志向の強いものを作る。そんな方もいらっしゃいますね」

 「中学生の頃ですね。絵が好きで、絵で食っていくためにはどうすればいいかと現実的に考えるようになりました。それで、絵本です。中学生が考えることなので、絵本なら売ってお金になる、わかりやすい思考ですね。絵本をやるなら美術の勉強をしなきゃいけない、そういうことで美大を目指したんです」 こう聞けば、迷うことなく一直線に、と考えてしまうがそうではなかった。御父上は、美大へ進学すること、美術の道へ進むことに反対だった。「美術にはあまり縁のないサラリーマン家庭で、かつ、父親は祖父から反対されて美大をあきらめた口なんですよ。そうしたこともあって、同じように大反対されました。最初、美術系の高校に行きたいと考えましたが、それはもう寄って集って説得され、それなら、好きな野球のできる甲子園に行ける可能性がある高校にしたいと。それも、また寄って集って……(笑)」 大学院への進学も理解を得られず、学費はアルバイトしながら賄ったとのこと。大学を出たあとは、就職もあいまいなまま作家活動を始めることになるのだが、家族の理解と支援のない船出はさぞや大変なことだっただろう。

 興味深いのは、絵本作家になるため入学した美大だが、そこで現代美術に傾倒することになる。「美術の歴史について勉強をします。現代美術はコンテクスト(文脈)を大事にしますが、そうしたことを知るとやはり面白い。なにより、歴史的に見て、美術が世界を変えてきたという事実があります。自分もそういうことがしたい、若いので大きなことを考えていました」 大学院まで含め6年間、現代美術に取り組んだ。しかし、同時にその限界も感じた。「結果からいうと、現代美術ってあまり影響力がないなと思いました。その後、村上隆さんや奈良美智さんのような方が出てきて、こういうやり方もあったんだと思いましたが、僕は現代美術から離れました」 バブル景気がはじけ、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件……、失われた20年の始まりの頃である。現在感じる、当たり前に景気が悪い世の中よりも、なにかもっと行き詰まったような、答えの見つからない閉塞感が世の中に蔓延していた。そうした空気の中、やはり自分は絵本に取り組もうと考えた。「当時、2000年代に入る前、現代美術よりも絵本のほうが社会に影響を与えるのではないかと考えました。絵本に戻るようなかたちになりましたが、現代美術を志向したことは、幅広く表現について考えることができとても良かったと思います」

 一巡してからの絵本への回帰については「意外と中学の頃に考えたことから変わっていないような気がします。絵画や美術は、社会や人に影響を与えるものですが、子供が初めに見るものや小さい頃に見るものといったら絵本です。絵本は、その人に直接、影響するものです。大きく成長しても、子供の頃に見た絵本に影響されますよね。直接的には、その影響を見ることはできないかもしれませんが、確実に影響を与えることができる。それが絵本ではないか、そこが重要ではないかとずっと考えています」
 大学院に籍を置くかたわら、学費を稼ぐため、デザイン事務所でアルバイトし、大学院を出たあとは、高校の非常勤講師をやりながら、絵本制作に打ち込みコンペに出展を続けた。デザインの仕事、教えるという仕事、そして絵本制作。図らずも、このときから現在のかたちになるためのことを続けてきたといえるだろう。

 そんな丸岡氏が、今年度から力を入れているのが、小中学生に1年間という時間をかけてデザインを教えるワークショップ「こどもデザインだいがく」である。「自分が絵を描くことの意味というか、特に若い頃は自己表現に近いものと考えていましたが、大学に関わるようになり研究することの面白さもわかって来ました。子供たちのためになにかする、大袈裟にいえば、絵本を作ることもワークショップをやることも子供に対する働きかけとして同列に考え、研究テーマの重要な部分に位置付けて考えています。絵本でやりたかったことを突き詰めて考えれば、直接子供に働きかけるワークショップは同じことです。社会の中で、「デザイン」に対する理解や認知は進みましたが、逆に誤解を生む環境も増えたように感じます。絵画ではなく、デザインそのものを主体としたこうした取り組みはあまりなかったのではないかと思います」 子供たちに働きかけることは、地域社会へ働きかけることでもある。社会があり、子供たちがいて、学校がある。地域振興へもつながる。芸術大学のある周辺地域には、もっと豊かな文化や共有できる価値観があるべきではないか、子供を通して、直接、地域に語りかけようとする行為でもあるという。失われた20年に感じていた閉塞感は、こうした取り組みの中から打ち破られていくのではないだろうか。

高校時代、美術科に進むことを反対され、野球に打ち込む。それでも思いは断ち切れず、大学は多摩美へ

大学院まで含め6年間、現代美術に取り組んだ。しかし、同時にその限界も感じた。「同じ世代で共有している社会が行き詰まった感覚については、学生たちにも話しますが、上手く伝わるかどうかわかりません。今の学生たちは、失敗したらもう後がないような、そんな感覚に捕らわれているような気がします。いろいろなことが、現実と向き合うことを難しくさせています」

「筆洗バケツの住人」 2007
スカイフィッシュ・グラフィックス

「しろいみち」 2005
第21回ニッサン童話と絵本のグランプリ絵本大賞 BL出版

「Le déménagement des lapins(うさぎのひっこし)」2011
Ma petite Crokette (フランス)

「注文の多い料理店」 2013
東京装画賞

「itadakimasu」2013-2014

「オリジナル」2016

デザイン・アートの視点から地域の振興に関わる取り組み

秋田のアーティスト発掘プロジェクト報告集「うちのあかり」 2014

上ノ加江ラボ 2014

KAMIKOANIプロジェクト秋田 2013

大野見米「森to光」パッケージデザイン 2014