思うように生きる
研究室にお伺いした。目に入ってきたのは、岡本太郎の「太陽の塔」の模型。イームズのシェルチェアがあるかと思えば、レゴのアーキテクチャーシリーズ ル・コルビュジエのサヴォア邸も。取材相手は、デザインの先生だったかと思い違いを起こしてしまいそうな小物たち。「割りと一つのことに集中するタイプなんですよ。何でもそうなんですが、趣味ができたら、その方面にわっと行っちゃう。飽きてくるとすぐ辞めるんですけど、サックスだけは長く続いています(笑)」 屈託のない笑顔で話す。
サックスを始めたのは中学になってから。当時放送されていたテレビドラマの影響だという。「『ポニーテールは振り向かない』というドラマがあって、少年院から出てきてバンドをやりながら更生していくみたいな話なんです。主人公はドラムなんですけど、メンバーにサックスがいて、カッコいいなって(爆笑)」 同じ頃、ラグビーを題材にしたドラマもあり、サックスとラグビー、どちらにしようか迷ったというから中学生らしいではないか。誰でも楽器を始める動機なんてそんなもんですよ、といいながら快活に笑う。
興味があることに熱中する性格は、サックスに向かい、吹奏楽に向かった。事情があって中学の一時期、吹奏楽を離れるが、高校では再び吹奏楽部に入部しサックスを吹いた。部活の中ではリーダーシップを発揮し、高校2年で部長になる。通常なら、進学のため3年生は部活を引退するものだが、3年になっても部活も部長も継続。新しいことにチャレンジしたかったという。「まだ新しく、それほど歴史のある部活じゃなかったんですよ。僕が2年間続けてやれば、次の年からは3年生が部長になるだろうと。何か、変えていきたかったんですよ」 指揮者としてのデビューも高校のときだった。2年のときは、音大出身で指導に来ていた楽器店の方に頼んでいたが、次の年は都合が付かずコンクールの指揮ができないという。「じゃあ、自分でやろうかなと、軽い気持ちです。何も考えていなかったですね、怖いものなしで。自分では、うちの学校、わりとイケてるんじゃないって、それくらいのことを思ってましたね。コンクールでは、地区大会で銅賞だったんですけど(笑)」
この経験が、自分の楽器サックスの研鑽とともに指揮法も学びたい、という気持ちにつながった。専門学校に進むが、その中でサックスと同時に指揮法も学び、早くから吹奏楽の指導に当たった。「僕は演奏者としてバンドに参加して授業を受けてますよね。そこで先生たちからバンドに指示されたことを、フィードバックして指導する場所で伝えました、さも自分の言葉のようにです。でも、そういう場所があるということがすごく大事だなと。このことが自分の成長につながっていると思います」
サックスという楽器は、弦楽オーケストラにパートはない。曲により、編成に加わることはあるが、常設オーケストラの構成員にはなれない。オケマンになることができないため、ミュージシャンとして続けていくためには、自分で考えて、何かをやっていくことが必然である。こうした事情もあり、サックス奏者たちは、他の楽器とは異なる考え方や行動力を持っているように感じることがある。「僕は、プロの演奏家とアマチュアの差を収入の手段が違うだけ、と考えています。僕自身、以前、短大で教えていた頃は、忙しくて演奏活動が思うようにできなかったんですよ。そのとき、自分は仕事を持って休みや仕事の合間に演奏しているアマチュアの方々とやっていることがなんら変わりないと気が付いたんです。技量の差じゃないんですよ。アマチュアの方が、こんな感覚を持ってくれれば、逆に同じようなことが起こるなと。ですから、一般の方々、他の仕事を持っている方が、ちゃんと芸術活動ができる環境、そういった環境作りが一番やりたいことなのかもしれません。プロとアマチュアのボーダーなんてありませんよ」 プロの演奏家としてやっていくためには、自分の専門以外にも興味の幅を広げ、なにか得意なことを増やすことが重要だという。サックスと吹奏楽の指導、まさに、話すとおりこの2つを行き来しながらの活動といえよう。「学生たちには、実際にプレーヤーとしてやっていきたいのなら、逆にそれ以外の能力が必要だといってるんです。例えば、デザインのことを知っていれば自分でチラシを作ることもできますし、それができるかできないかで全然違います。僕の場合は、楽器ができる、吹奏楽の指導もできる、マネージメントのようなことも知っているということですが、人によりいろいろな可能性があると思います。多様性が大事ですね」
「吹奏楽のコンクールを否定的に捉える人もいますが、それでもやっぱり魅力がありますよ。一つの目標に全員で向かっていくこと。中高生は年ごとにメンバーが代わりますが、一般バンドは長く同じメンバーで作り上げていく魅力がありますね」 自分の好きなことに正直に生きることが理想だと語った。岡本太郎は、職業を問われると「職業は人間」と答えていたそうだが、遠藤氏はこの言葉に共感し、自分の姿をこの考えに重ねる。自分もそうして生きてきたからこそ、誰もがそのように生きて欲しい。そのために自分はできることをやっていきたい。“吹奏楽は熱い”、その熱を感じさせてくれた。