心を動かすもの
リベラルアーツの学生なら、名前を見て誤植と思ったのではないだろうか。本学では“一真"という表記で教壇に立っている。聞けば、教える仕事とアーティスト活動で「一真」と「一雅」を使い分けているのだそう。アーティストは自分が前面に出る仕事、学生に教えるという仕事は後方からバックアップする仕事だという。今回は、アーティスト“一雅"氏についてのお話から。
「テクノロジーと音をテーマに作品を作っています。小学生の頃からコンピューターを使って音を作って遊んでいました。音を含めていろいろな現象が記号で表されるのが面白くて、それで工学部に進んだのですが、途中で辞めているんです。表現に興味を持っていた自分がいて、そこに矛盾が生じていたんだと思います。」
その後、コンピューターとシンセサイザーの手腕をかわれ、楽器メーカーの研究開発に携わることになる。「研究室のスタジオとホテルを行ったり来たりする生活を、4、5年続けました。身体を動かすと音の出る楽器など、まだ研究段階の楽器の音を制作したり、デバイス発案で特許を取ったりしたこともありました。」
そうした中で「いろんなストレスがあったんだと思いますが、病気になってしまったんです。 CFS(Chronic FatigueSyndrome)慢性疲労症候群という原因不明の病気です。熱が続いて、リンパ腺が腫れて、笑うこともできない。感覚としては攻撃する対象がいないのに、免疫システムが暴走している感じなんです。その状態が5年くらい続きました。どんどん体力を消耗していくし、でも仕事はしなくてはいけない。しばらくは原因どころか、病名すらわからない状態でした」大学病院を転々とするうちに、運良くCFSを研究する医師に出会い、それで病名が判明したのだという。CFSは、明確な原因が現在でも分っていないため、現在でも根本的な治療法も確立されておらず、心身に負荷をかけない様にすることが肝要だという。
「僕の場合は、西洋医学では対処療法しかできないという事が分ったので、漢方や、気功など、いろいろ試したんです。そしたら気功が効いたみたいで、非科学的なものは一切信じなかった人間なのでその時はかなり驚きました。あと、心が身体に及ぼす影響がとても大きいのに気付き、その心のバランスをとるのに音楽がとても有効でした。」自分に合った音楽を聴いてリラックスすることで身体は快復に向かった。その経験から、聴いて心地良くなる、聴いてポジティブな気持ちになる、そんな音楽を創りたいという気持ちが大きくなった。ソロユニット名に「macrophage lab.」(マクロファージ免疫細胞)という名前を付けたのもそんな理由からだという。
少しずつ症状が改善する中で、並行して音楽制作も行い、自分で作ったCDをリュックに詰めて渡米し、ニューヨークのクラブで配り歩く。音楽を聞き、音楽を創り、音楽を送り出す、音楽だけの生活。そんなことを数年繰り返し、2007年についにNYのレーベルからデビューを果たす。そして、2009年には日本のレーベルからアルバムのリリースをし、好調な滑り出しをするが、時代はCDからダウンロード販売に移り始めた時期、そんな時代の流れに音楽の在り方について模索しはじめる。「従来は、CDというメディアがすごく力を持っていました。でも、MP3が普及してきたときにCDからデータを抜いてしまったらなにが残るんだろうと思うようになりました。作ったCDの価値はなんだろう、円盤に2,000円払う価値ってなんだろうと、すごく悩みました。それをリベラルアーツの茂登山清文教授にも相談したところ、『それって、元に戻っただけじゃない?』と言われました。とても衝撃的な一言でした。」
社会の中でCDというメディアが芸術作品としての力を持っていたのは経済的な利益を生み出すからであって、当然本来の音楽は録音物だけではない。しかし、その時代においてはコンピューターを用いた音楽表現の主流はDTM(Desktop Music)やDAW(Digital Audio Workstation)であった。「コンピューターは録音物を作るためのだけの装置なのか?テクノロジーと音楽の関係にはもっと可能性があるのではないか?」そんな自問自答を繰り返すなか、コンピューターの特異性を活かした音の表現への追求が始まり、作品はよりインタラクティブなモノへとシフトしていった。
表現の手段として論理の集合体であるコンピュータを用いたとしても、あくまで人の心を動かすものは、論理的なプロセスの枠の外にあると問い続ける。
「絵を見て感動したり音を聞いて感動したりすることは、言語を超えて伝わりますよね。人間は、意識して判断するのではなく、意識しないまま美しいと感じていると思うんです。人が感動する部分というのは、そんな無意識的に起きていると思います。そんな無意識も電気信号による脳の活動です。だけど、そういう物理法則というか計算機として動いている脳の部分と、それを動かしているもう一つのなにかがあるんじゃないかと思うんです。計算機を使っている側というか。アートって、その部分に少なからず触れることができるものではないでしょうか。
コンピューターがミュージシャンの身体に代わって音楽を奏でCDが作られる様になりました。次はアーティストの脳に代わって作品が生み出される時代が来ようとしています。でも、人工知能が人間の創造性に近づいたとしても、数値化できない部分にこそ創造の源があるような気がしています。そして、そこから生み出される表現、そこにアートの意義を感じています。」