儀間朝龍

ダンボールアーティスト/rubodan代表

沖縄県那覇市在住

美術学部 日本画コース 1999年卒業

版画コース研究生 2000年修了

rubodan webサイト
儀間朝龍氏webサイト

世界中に文化が伝わるということは世界中にゴミがばらまかれるということでもある

 ダンボールを素材として「POP COLLAGE」 と名付けたコラージュ作品を制作する儀間さん。バスケットシューズ、レコードジャケット、コカ・コーラにマリリン・モンロー(というかアンディ・ウォーホル)……、バラエティに富む作品群は、モチーフからもカラフルな色使いからもアメリカ文化とポップ・アートからも大きく影響を受けています。「流通と消費」というテーマも、ポップ・アートを直訳的に再現したものといえます。しかしながら、ポップ・アートの大量生産と大量消費そして大衆文化といった背景とダンボールという現代の消費社会を象徴するアイテム、さらにアメリカという存在を強く感じさせる沖縄という場所が儀間さんの作品には複雑に混ざり合い、独自の味を生み出しているように感じます。こうした作品が生まれた背景についてお伺いしました。

ダンボールを使うようになったきっかけは?

 もともと、沖縄に生まれたこと、それから、環境のことにとても興味がありました。90年代、93年頃でしょうか、高校時代に酸性雨だとか環境問題が騒がれるようになりました。学生時代から、緑がちょっとずつ減っていくことや、海もちょっとずつ汚れていっていることを感じていて、未来のことを考えたとき嫌だなと思い始め、環境に関する絵を描いていました。
 大学に入り名古屋へ来て、僕、誕生日が5月30日なんですけど、西春の小学校の前に歩道橋があってそこに530運動(ゴミセロ運動)の標語があり、530運動を知りました。自分の誕生日に町がきれいになるんだとちょっとうれしい気持ちだったんですけど、年を重ねるうち、してもらうだけじゃなくて自分でもしなきゃいけないという気持ちが芽生え、自分に課題を課すような気持ちになってきて自然への興味がさらに大きくなりました。
 同時に、沖縄なんですが、沖縄は昔からさまざまな外国と交流があります。琉球王国の時代から、タイやインドネシアともつながりがあり、もちろん今もたくさんの輸入品がやってきています。じつはそのことにダンボールで気付きました。昔から沖縄には輸入の商品が溢れている、沖縄は日本の端の小さな島ですが世界とつながっている、そのことに捨てられているダンボールを見て気付いたんです。それと同時に、いろいろなものがダンボールに入って沖縄に届くけれども、最終的にはそれだけのものがゴミになる、ということにも気が付きました。
 「POP COLLAGE」を作り始める前に、廃ダンボールをノートに再生する「rubodan(ルボダーン)」の取り組みがありました。2009年頃に、ダンボールを水に浸すと糊が溶けてきれいにはがれ紙ができる、ということを発見しました。その製法を広めたいと思ったんですが、ワークショップや作品だけで伝えるのではすぐに限界が来るだろうなと思い、作り方を広く公開し実際に使うことのできるノートやレターセットなどのステーショナリーとして販売することにしました。ブランドという形にすることでより広まりやすくなると考え、2011年5月30日にrubodanを設立しました。rubodanでは、当初、自分でノートを手作りしていて、裁断機で切って作っていました。するとダンボールの端切れがいっぱい出るんですね。その端切れも捨てられず、集めていたんです。あるとき、絵を描いていて、絵の具を塗ったところに手もとにあったダンボールの破片を貼ってみたら、これだと。すごい衝撃がありました。すぐにキャンベルスープ缶を作り、これで作品を作ることができると確信しました。2014年のことなんですが、その当時は作品が作れなくて最悪で、なにを描いていいのかわからなくなっていました。POP COLLAGEができるまでrubodanから3年かかっていますが、その間、描けなくなってどん底の気分でした。今思えば、どん底だと思っていたんですけど、じつはやりきっていたんだろうなと思っています。底辺じゃなくてやりきったから、そこには作りたいものがなくなって次へ行くタイミングだったんだと思います。2014年はポンとなにかはじけて8年経ったら今ここにいる、という不思議な体験をしている感覚です。

ポップ・アートに対する思い入れは?

 最初にポップ・アートを本で見たときは、なぜこれがアートなの? と思っていました。謎のほうが大きかったですし、カッコいいとも思えませんでした。僕は沖縄で育ち、アメリカンカルチャーに若い頃から大きな影響を受けています。沖縄には、それこそ輸入された缶詰がスーパーに並び、外国人も普通に歩いている、アメリカのフラッグも目にする、日本国内であってもアメリカがすぐ近くにある、そんな日常があります。そんな背景や自分の見てきたことを考え合わせると、ポップアートってめちゃめちゃカッコイイんじゃないのと思えてきました。POP COLLAGEとして作品を作るようになり、はじめの頃は単純に自分の好きなものばかり作っていました。でも作品を作っているうち、ポップ・アートについて、より深く考えるようになり、1950年代、戦後のアメリカの好景気のなか、大量生産と大量消費を背景に生まれた作品たちなんだと理解するようになりました。沖縄からみれば沖縄戦のあとなんです。そのことがすごくショックで、本当に涙が出るくらいのショックを受けました。自分の作っている作品はなんなんだと。でも作品を作らずにはいられず、自分とつなげて見たときにモヤモヤとした気持ちがあり、正直、今もジレンマを感じながら制作しています。
 今回の展覧会は「POP OR END」としましたが、POPの意味するところは、僕はポピュラーだとか大衆的といった単純な日本語で語られるものだけではなく、消費されず残るもののような意味を含んでいると考えています。一度、POPになったものは永遠ではないかと。カート・コバーンは亡くなっても音楽は残るし、ドラゴンボールの孫悟空も死なないのではないでしょうか。「END」と付けたのは、世の中には消費の対象として新しい商品がたくさん出てきますが、残るものと残らないものがあります。悟空みたいに残るものも出てくるだろうけど、圧倒的多数は残れません。自分も含めて作品を作り続けられるのか、もしかしたら来年終わってるかもしれない、そうなりたくない、そんな気持ちもあってENDとつけました。
 マイケルジョーダンが大好きでバスケットシューズのシリーズをやっていますが、彼は僕の中では完全にアイドルだしPOPなんです。そうなんですが、環境問題のことも気にしているし、でも世界一消費されているブランドの作品を作っている。矛盾や気持ち悪さを正直自分でもちょっと感じています。やればやるほど、制作をするほど、モヤモヤとしてきている自分がいます。そのこと自体が原動力でもありますが、作品を見る人が、ん? って立ち止まって考えてくれたとしたら、それでいいのではないかとも思います。気付きや考える場面が生まれればと思います。パッと見てPOPだよね、で終わる人もいるかもしれませんが、なにかに気付いてくれてモヤモヤとした気持ちになり、僕に聞いてくれたり、わかったり、逆に答えがわからなくなるケースがあると思うんです。作品も消費についても、ちゃんと考えると世の中的にはどうなのと思うところもあるし、世界中に文化が伝わるということは世界中にゴミがばらまかれるということでもあります。そうしたモヤモヤした部分にまで気付いてもらえればと思います。100%答えの出る展示ではないと思っていますが、それで良いんだと考えています。

儀間朝龍氏