特集

47号(2019年4月発行)掲載

卒業制作/修了制作 創作中インタビュー

「学びを作品として昇華させるために」

 卒業制作は、学生時代の集大成。美術、デザインコースの学生にとって、自分が学んできたことを形にする最も重要な課題の一つです。それぞれの考えや個性を反映しつつ、クオリティを高め作品に仕上げます。これまで学んできたことを自分の作品として昇華させるため、どの学生も産みの苦しみと楽しみを感じているはず。とりあえず作ってみる人、じっくり考えてから行動に移す人、方法はそれぞれですが、制作期間の間はどの学生もそのことで頭はいっぱい。お話を伺ったのは、制作期間の後半にあたる1月なかば。制作にどっぷりと浸かる学生に、取り組んでいることについて伺いました。

ガラスでなければできないことを

大学院 美術研究科

植村宏木さん

 美術の中でガラスという分野はもっとできること、可能性があるんじゃないかと思っています。私は、北海道で生まれ、ガラスがやりたくて秋田へ、美術の勉強もしたくなって、瀬戸市新世紀工芸館を経てここにいます。秋田にいた頃から、ガラスでできることは何なんだろうかとを考えつつ探しながら場所を移してきました。ガラスは、焼き物なんかとくらべると歴史が長いわけではありません。まだまだこれからだと思います。そういうことをじっくり考える時間が欲しかったんだと思います。
 ガラスは、何となく感じることができるけども実際に見ることのできないもの、例えば、空気や気配、あるいは時間の感覚や記憶といったものを表現するのに適した素材ではないかと思います。見えないものをあやふやな立ち位置で表現することに適していると考えています。溶けたガラスは、自在に形を変えることができ、水で形作れるものであればガラスでも作ることができるといわれています。扱いにくい素材のように思われますが、間接的ですが手で形を変えることもできますし、重力や遠心力を使って自然な曲線を作ることのできる素材です。技術を修得するために時間がかかりますが、最近になってようやく作りたい形をどうやって作っていけばいいのかだんだんわかって来ました。
 今回は、ホワイトキューブ、なにもない白い空間での展示になります。これまでは、アートプロジェクトなどで展開することが多く、その場合はその場所が抱えている古い民家だったり、神社やお寺だったりするんですが、気配や記憶を主題として作品を作って来ました。今回の展示はこれまでとは逆で、いろんなものを削ぎ落とし日常から切り離された空間で、あえていえば、外部から気配や記憶を持ち込むことになるわけです。今回はその空間にある、削ぎ落としても落としきれなかった部分、たぶん、空気だったり、重力だったり、目に見えないエネルギーのようなものを表現することになると思います。
 もう一つ、ガラスの位置付けについても考えています。ガラスによく似たものに樹脂がありますが、ガラスは割れたり、欠けたりするという大きな違いを持っています。歴史的にも、中国や欧州では宝石よりも価値の高いものとして扱われたこともあります。そうした素材が持っている精神性のようなもの、ガラスならではの表現を追求したいと考えています。

自分のできることを、とことんまで

美術学部 美術学科 洋画2コース 4年

井上七海さん

 高校から美術科に通っていました。高校生の頃は、具象や静物、デッサンばかり、いかにも高校生が描くような絵を描いていました。大学に入って、デッサンをやっていても、ある程度描けたらそこで止まってしまい、それ以上いいものは作れないということが悩みでした。
 絵の構成を考えたときに、「抜け」ってあるじゃないですか。しっかり描く部分と、あえてあまり描かない部分。私は、全部きっちり描きたいと思っていて、すごく苦戦しました。ただ、逆に考えてみると、全部に手を入れるというのは、忍耐が必要で地味な仕事なんですが、私にはそれができるな、全部に手を入れる感じで描いてみようと。やってみたら気持ちにしっくり来る絵が描けるようになりました。描きたいものがあってというよりも、自分ができること、自分の一番得意なことをやっていった、そんな感じですね。
 コンピュータを使って正確に線を引いたものと、全部の線を手で引いたものと、両方あります。手で引くと、どうしても線がずれるんです。最初は、そのずれが嫌いでしたが、手作業だから当たり前、ずれをそのまま残して手作業の感じを残そうということを考えています。トレーシングペーパーを重ねたり、メディウムで厚みを作り、見る角度でずれが変わるようなものも描いてみています。まっすぐな作品もあれば、ずれた作品もある。雪の結晶なんかでも完全な形になっているものしか取り上げられませんが、実際には形の崩れたものが大多数ですよね。それも魅力的なことじゃないのかなと思うんです。つまらないと切り捨てられてしまいがちですが、それもとても大事なんじゃないかと。まっすぐなものと、ずれたもの、この2つはまだ私の中でぶつかってはいないですが、この2つで当面はやっていきたいなと考えています。2つのことを考えているときのほうが、いろいろ思いつくということもあります。

問いかけるデザイン

デザイン学部 デザイン学科 デザインマネージメントコース 4年

鈴木瑛士さん

 テーマとしてはVR(バーチャル・リアリティ)があります。これから普及していったときに、人間にどんな影響を与えるか、そのことについて考えてもらえるような作品になればと思っています。
 物語の主人公は、自分の生きている現実の社会に幻滅していて、VRを使ったバーチャルの中と二重生活をしています。VRに希望を見出し、現実とバーチャルの境界を越えようとしています。主人公は、現実を否定的、VRを肯定的に述べているのですが、どちらがいいのか作品を見た人にその部分はゆだねる形を採ろうと思っています。
 VRに限らず、ロボットと人間、AIと人間など、テクノロジーに合わせて人間は適応していき、結果、いろいろに分かれていくんじゃないのかなと考えています。また、人間を人間たらしめるもの、どこまで行ったら人間じゃなくなるのかとか、自分でなくなるとか、そうしたことが大事になってくるのではと思います。テクノロジーが普及して誰もが日常的に使うようになっていくと、そういった問題が置き去りにされてしまうのではないかと思います。テクノロジーは、豊かさや便利さを与えてくれるものですが、使い方によってはモラルの低下を招いたり、依存してしまうような人が出てきたりします。こうした展示で、一旦立ち止まって自分はどうしていけばいいのか、考えていただければと思っています。
 「スペキュラティブデザイン」という、未来はこうもありえるのではないかという憶測を提示し、問いを創造するデザインの方法論があります。デザインは、社会や生活などを豊かにする提案を行うことが目指すべきところなんですが、スペキュラティブデザインのように問いを提示することもデザインの一部としてあって、すごく重要なことではないかと思います。自分はテクノロジーとどうやって付き合っていくか、作品の背景にあるものはどういったものなのか、結論を出すことも大事なことですが、まずはそういうことを考えてもらうこと、そのこと自体が重要なんじゃないかなと思っています。