特集

47号(2019年4月発行)掲載

卒業制作展・修了制作展 記念講演会

 2月16日、23日、3月3日と3週にわたり、3名のプロフェッショナルをお迎えして、記念講演会を行いました。講演会は、事前の申し込みで一般の方にも公開されましたが、いずれも定員を大幅に上回る申し込みをいただきました。同じ業界で働いていると思われる、社会人の方の受講も見受けられました。各分野で注目を集めるプロフェッショナルだけに、それぞれ興味深いお話ばかり。学生たちも、大いに刺激を受けているようでした。

「ジブリの仕事術」

スタジオジブリ代表取締役プロデューサー

鈴木敏夫氏

 1948年、名古屋市生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、 徳間書店入社。『週刊アサヒ芸能』を経て、『アニメージュ』 の創刊に参加。副編集長、編集長を務めるかたわら、「風の谷のナウシカ」「火垂るの墓」「となりのトトロ」などの 高畑勲・宮崎駿作品の製作に関わる。
 1985年にスタジオジブリの設立に参加、1989 年からスタジオジブリ専従。以後ほぼすべての劇場作品をプロデュース。
 著書に『仕事道楽 新版–スタジオジブリの現場』(岩波書店)、『ジブリの哲学̶–変わるものと変わらないもの̶』(岩波書店)、『風に吹かれて』(中央公論新社)、『ジブリの仲間たち』(新潮社)、『ジブリの文学』(岩波書店)、『人生は単なる空騒ぎー言葉の魔法̶』(KADOKAWA)、『禅とジブリ』(淡交社)、『南の国のカンヤダ』(小学館)などがある。

 2月16日(土)、スタジオジブリプロデューサー 鈴木敏夫氏の講演会が行われました。アニメやメディアに関心のある学生だけでなく、幅広く注目を集める人物だけに、一般の方からも講演会参加にたくさんの申し込みを受けました。できる限り対応できるようLIVEビューイング会場を設けるなどしましたが、それでも席が足りず抽選となるほどの盛況ぶりでした。
 講演は、アニメや漫画に造詣の深い文芸・ライティングコースの禧美智章講師がホストとなり、鈴木氏がそれに応えるという形式で行われました。宮崎駿氏、故高畑勲氏との関係やそれぞれの個性について興味深いお話がたくさんありました。作品の芸術性を失わずヒット作を連発する敏腕プロデューサー、作家性とエンターテインメント性を両立させるために腐心しているかと想像しますが、宮崎氏とただただ一緒に仕事を続けたかった、映画は一度興行的に上手くいかないと制作のチャンスがなくなる残酷な世界、とにかく一緒に仕事がしたかったと、仕事へのモチベーションを語り、非常に印象的でした。
 今回の卒業制作展の感想として語られたのは、「抽象作品が多い」ということでした。そして、なぜ抽象化するのか、という問題提起があり、映像と文章の特性や表現の違いについての考えが述べられ、抽象的な事柄を映像で見せる工夫など、深く考えさせられる内容がいくつもありました。
 映画制作では、出資者に映画を魅力的に語る必要がありますが、それだけに鈴木氏の話す言葉はとても面白く、ときには進行の禧美氏をはぐらかしたり、逆に質問したり、禧美氏がたじたじとなる場面もあり、聴衆の心をつかんで離しません。出資者はもちろん、作家も鈴木氏の発する言葉の魅力に創作を続けたことが実感できます。あらためて、言葉の重要性を強く感じました。
 絵を描くことについて、宮崎氏は観察力がすごく、描けなくなったら見に行く、観察と描くを繰り返している、見ることが一番大事ではないかと講演をまとめました。

進行は文芸・ライティングコースの禧美智章講師が担当。鈴木氏から逆に質問され、たじたじとなる場面も

鈴木氏に直接質問することのできる貴重な機会とあって、質疑応答では多くの手が上がりました。ジブリのことや、絵のこと、仕事についてのことなど、多岐にわたりました

「ご縁とデザイン」

株式会社goen°主宰、コミュニケーションディレクター、
アートディレクター、武蔵野美術大学客員教授

森本千絵氏

 1999年武蔵野美術大学卒業後、博報堂入社。’06年史上最年少でADC会員となる。
 ’07年「出逢いを発明する。夢をカタチにし、人をつなげていく。」をモットーに、株式会社goen°を設立。NHK大河ドラマ「江」、朝の連続テレビ小説「てっぱん」のタイトルワーク、「半分、青い。」のポスターデザインをはじめ、Canon、KIRINなどの企業広告、松任谷由実、Mr.Childrenのアートワーク、映画や舞台の美術、動物園や保育園の空間ディレクションなど活動は多岐に渡る。
 11年サントリー「歌のリレー」でADCグランプリ初受賞。N.Y.ADC賞、ONE SHOWゴールド、アジア太平洋広告祭ゴールド、SPACESHOWER MVA、50th ACC CM FESTIVALベストアートディレクション賞、ADFESTヤングコンペ日本代表、伊丹十三賞、日本建築学会賞、第4回東奥文化選奨、日経ウーマンオブザイヤー2012など多数受賞。二子玉川ライズクリスマス2018「Merry Tick Tock」プロデュース、キネコ国際映画祭アーティスティック・ディレクター兼、審査委員長を務める。

 2月23日(土)は、「株式会社goen°」を主宰する森本千絵氏の講演会が行われました。
 講演は、森本氏の学生時代の卒業制作についての話から始まりました。中学生の頃から広告に関心を持ち、美大に進みたいと考え実現したこと、学生時代は研究室にMacが入って来た頃で、合成の作品ばかり作っていたことが語られ、さらに短大時代の卒業制作作品が披露されました。短大から4年制に編入し、人の目や成功例に捕らわれずやりたいことに素直になって制作に向かったほうがいいと先輩からアドバイスを受けて作品が変わり、多くの人とコミュニケーションを取ることを目的にワークショップを行うようになったとそうです。
 大事にしていることに「アイデアを出すこと」を挙げ、「アイデアはあっても口に出さないことが多く、アイデアは出ないと思い込んでいる。口に出すことが大事で、技術を身につけてたくさんの経験を積んでも子供のような存在でいるように心がけている。恥ずかしがらずにアイデアを出していきたい」と話しました。
 松任谷由実やMr.ChildrenのCDアートワークが紹介され、それらを制作したときのプレゼン資料を披露して下さいました。「プレゼンはおもてなし」と考え、大量に制作するとのことです。「自分のアートを見てもらうということよりも、依頼していただいた方と一緒に創りたい。そのため何かのきっかけになりそうなものをできる限り考えて提案する」と語りました。実際に、数々のアイデアがまとめられ、1本のPVになったり、プレゼンで使った音楽が別の企画につながったりしていることが、制作された映像を再生しながら示されました。
 また、企画は会議室で考えるのではなく、自分のプライベートの中で、家族や近くにいる人と関連させて考え、それを仕事へとつなげていると話します。直接答えを探しに行くのではなく、寄り道しながらいろいろなアイデアを結びつけていく方法が、無駄にならず、広告の背景にある豊かさにつながっていくのではないかと考えさせられました。
 最後に、広告は「人が人に出会うためのもので、その間をお手伝いする仕事」と話し、講演を終えました。

できあがった作品に加え、その企画書やアイデアスケッチなど、なかなか見ることのできない貴重な資料が披露されました。アイデアの源が示され、非常に有意義なものとなりました

「建築が世界を変える」

建築家、株式会社手塚建築研究所代表、東京都市大学教授

手塚貴晴氏

 武蔵工業大学卒業後、ペンシルバニア大学大学院へ進学。1990-1994年リチャード・ロジャー ス・パートナーシップ・ロンドン勤務後、1994年に手塚建築企画を手塚由比と共同設立 (1997年手塚建築研究所に改称 )。
 主な賞に日本建築学会賞(2008年 ふじようえちえん)、日本建築家協会賞(2008年 ふじようちえん)、グッドデザイン金賞(1997年 副島病院)(2013年 あさひ幼稚園)、学校施設好事例集(第4版)最優秀賞、OECD/CELE(2011年 ふじようちえん)、日本建築家協会 優秀建築賞(2015年 空の森クリニック)、Global Award for Sustainable Architecture 2017、Moriyama RAIC International Prize 2017 (Fuji Kindergarten)
 著書に手塚貴晴 + 手塚由比『きもちのいい家』(清流出版)、手塚貴晴+手塚由比『やねのいえ ( くうねるところにすむところ―家を伝える本シリーズ )』 (平凡社)など。

 3月3日(日)は、建築家の手塚貴晴氏の講演会が行われました。
 手塚氏は、トレードマークの真っ青の服装で登壇し、家族の写真を紹介し、建築の原点は家族にあると話します。「建築はものを創るだけではなく、そこで何が起こるか考えることが大事」と説明し、その建築が存在することで、その場所でどんなことが起こるかを予想しなければいけないと言います。
 「屋根の家」、「ふじようちえん」、宮城の「あさひ幼稚園」、さまざまな「教会」など、手塚氏の代表的な作品を提示され、それぞれのコンセプトと建設後どんなことが起きているかを説明しました。建物をドーナツ型にした「ふじようちえん」は、「遊ぶ」ことをテーマに設計されており、木が枯れないように木の根を切らずに済むよう建物に工夫がされており、子供たちが走り回っても振動が響かないような構造になっていると説明します。「遊具は、何かさせるために作られているが、ふじようちえんでは、子供は勝手に走り出す。人間に何か自発的に行動させる。これが建築の力」と語ります。「屋根の家」では、夏は暑く、冬は寒いという批判に、そこに住む人から、暑い寒いは当たり前で、人間は環境に適応できると反論があったことを紹介し、人間の適応力を引き出しつつ、できるだけ快適に過ごせるようさまざまな工夫がされていると説明しました。「技術が発達すると、その技術は気が付かれない存在になり、人が人らしく生活できるようになる」という、技術と人間の捉え方が印象的でした。数多くの作品写真や動画には、そこに生き生きと生活する人の姿が表示され、使う人を基本に考えていることがとてもよく伝わり、そのことが実感できる講演でした。
 質疑応答の前には、実際に手塚氏に自宅を設計してもらった人が登壇し、設計までの経緯や実際に住んでみての感想など、貴重な生の声を聞くことができました。「建築は、創ったら40年、50年は残り、その時間に耐える価値を考えなければいけない。使う人にとって思い入れのある、大事にしてくれるものを作ることが重要」と講演を締めくくりました。

「建築の原点」であるという手塚氏の家族を紹介

手塚氏が設計したお宅に住む方が登壇。設計までの経緯や住み心地をお話し下さいました

スペースデザインコース 駒井貞治准教授。「建築は施主の要望によって、はじめに考えたコンセプトは弱められて行くが、手塚氏の作品はそれが最後まで失われず、さらに魅力が増していく」と手塚氏を紹介