中森信福

中森信福

芸術教養領域リベラルアーツコース 助手
作曲家、トラックメイカー

1989年
米国ロサンゼルス生まれ、2歳で名古屋市へ
2012年
音楽学部サウンドメディアコース卒業
2011年
在学中に出演した「ルネッサンス21 -Planetaria-」では、セントラル愛知交響楽団と能のコラボレーション作品を発表
2014年
映画「こうたろう イン スペースワンダーランド」(artegg-yumi監督)に音楽で参加
2017年
映画「レッドリスト」(石原貴洋監督)の音楽制作、以降、石原作品の音楽を手がける。最新作は「大阪少女 -OSAKA GIRL-」。映画音楽のほか、KAMIKABEATZ名義で能の世界観を取り入れた和風エレクトロニック・ダンス・ミュージックのトラックを制作、トラックメイカー、DJとしても活動中

アイデンティティー

自分に合っていることはどんなことなのか? 自分がやりたいことは何なのか? 話してみると、芸大といえどもやりたいことに強い希望を持っていない学生が意外なほど多数いることに気付かされる。やりたいことが明確な友人たちを思い浮かべ、自分はあんなふうにはなれないと、何処か卑下するような面持ちで話してくれたりする。しかし、やりたいことが見えていない、そのことがそれほど悪いことなんだろうか……。
「大学時代は暗黒期で、髪も長くして暗黒な曲を暗黒なバンドでやろうとしてました。ダウナー系とクラブ系をミックスして、なんかちょっとヤバいレイブでかかってそうな曲、そんなのを作ろうとしてました。当時は、夢で金縛りにあったり、日本人形がいっぱい出てきたりとか(笑)」。
作曲を学びたくてサウンドメディアコースへ入学した。だがそこに到るまでの道は平坦なものではなかった。米国人の父親と日本人の母親、小学生の頃には容姿をからかわれることもあったという。「自分に対するコンプレックスが強くて、いまでこそ普通にしていますけど、中学、高校と先輩に目をつけられていました。自分は考えすぎる性格で、当時、まわりにいた人は『こいつの言ってること、わけわかんねえ』と。まず、モテなかったし、一番浮いてたし、一番変わっていました。毎日、外を歩くだけで人の視線が刺さるように思っていましたね。自分が自分以外の誰かになれたらいいのに、と思っていました」。

音楽をやっていくしかないと子供の頃から思っていたというが、ストレートに音楽の道を進んで来たわけではない。小学生の頃から始めたピアノではクラシック一辺倒だったが、わからなくなってしまった時期があったという。「音大のピアノ科へ行きたくて、東京の音大の夏期講習に行っていたんです。そこで講師がポップスのミュージシャンのことを悪く言うんです。あんなのは作曲じゃない、ベートーヴェンやモーツァルトのような曲を作れない、なんて言う。どうしてそうなるのか自分では納得できませんでした。日本人が音楽をやってなぜベートーヴェンがいまだにゴールなのか、その感覚も共感できませんでしたし、それこそ欧州の模倣で終わってしまうんじゃないかと思いました。そんな価値観が普通であることに、とても息苦しく感じました。自分は日本人であり、より日本人らしくあろうということを意識していた自分にはそういった価値観が合わず、メンタルの面でも落ち込んでしまいました。高3で受験に挫折して、音楽をやる意味ってあるのかな、誰かに聞かせる価値のある音楽があるのかなと考えるようになって、音楽から離れました」 高校は出席日数ぎりぎりでなんとか卒業、でもピアノには触らないと決め、ビデオレンタルでアルバイトをしながら過ごした。そうして1年を過ごし、将来について考えなければと思い始めた頃、救いを差し出してくれたのは母親だった。「ピアノじゃなくて最終的にやりたいのは作曲でしょ」と自分が本当にやりたかったことに気付かせてくれた。

「軍歌が好きなんですよね。魅力は、歌詞の重みと表現力かなあ。言葉にすごく重みがあって、安っぽいラブソングじゃないところに惹かれるんです」 落ち込んでほとんどの音楽を遠ざけていたときも、詞は心に残っていた。そしてもう一つ、音楽にかかわる重要な要素が“能”である。「高校1年のときだったか、電車の広告に豊田市能楽堂の催しの案内があって観に行きました。藤田六郎兵衛先生の笛で凄かったです。極悪な芸能だと思いました(笑)。地謡(じうたい、場面や状況を説明する音楽)はコーラスですけど呻き声みたいで怨霊の声のように感じました。能の題材も成仏されない霊や恨みとか呪いとかが多く、感情の淀みですよね。舞台を観てそこに悪霊が空間に蠢いているみたいな気がして、そんな映像が頭に浮かんできました。カルトというか、知られざる民族の儀式を目撃してしまったような気になって、すごく興奮しました。能に触れて、能のエッセンスを今の音楽に乗せることができたらスゴイのができると思いつきました」 大事な意味を持つ歌詞、能の精神性を持つ音楽、これらを組み合わせることが自分のアイデンティティーに根差した新しい音楽に違いない。そう考え、能の演者とオーケストラをコラボレーションさせた音楽を実現した。

卒業してからは、結局、就職せずアルバイトをしながら、映画制作を手伝った。「2013年のあいちトリエンナーレが転機でしたね。まちなか展開拡充事業(まちトリ)でボランティアをやったんですが、そこで社会とのつながりの大事さがよくわかりました。社会人訓練ゼロで来たのを“まちトリ”のリーダーみたいな人にたたき直してもらったように思います。そこで出会った人たちとは、その後、お仕事をいただいたり、今もつながりがあります。トリエンナーレの経験は本当に大きかったです。家の中で一人で音楽を作っていてもどこへ届けていいのかわからない。自分だけで完結してしまっていました。自分が作ったものを、どういう人に助けてもらって、どういう人に届けて、社会の仕組みの中にどうやって入っていくか。今、助手をやりながら学生と一緒に学び直して、自分自身、考えていかなきゃと思っています」。
自分のアイデンティティーを認識し、それを受け入れてオリジナリティへと昇華させることは、やはり一筋縄では行かないことである。生みの苦しみは、創作にかかわる限り誰にでもある。苦しんだ分だけいいものができると簡単には言えないが、苦しんだ末に生み出されたれたものへは、愛着も共感もひとしお深くなるように感じる。誰もが先の見えない今、不安を抱えながらも進むしかない。

プロジェクトチーム【黒雨】の作品第一弾。2011年3月8日、名古屋芸術大学にて行われた音楽イベント ルネッサンス21 - Planetaria- にて

プロジェクトチーム【黒雨】作品第二弾。2012年3月11日、 愛知県芸術劇場小ホールにて発表て

DIR EN GREY(ディル・アン・グレイ)という、ヴィジュアル系のバンドが好きで、ドグマだとかカルマだとか、そういうものを表現したいと大学の頃は思っていました。日栄一真先生が、真剣にお祓いに連れていこうとしてましたよ(笑)

『大阪外道』『大阪蛇道』『コントロール・オブ・バイオレンス』の石原貴洋監督の新作映画『大阪少女』で音楽を担当。「クズ人間だらけの理不尽な世界で逞しく生きるちほちゃんに負けないよう、最高にハッピーな音楽を表現しました。」

脳の使う部分が違うと言うか、音楽を作っているときと演奏するとき、ぜんぜん違うんです。アーティストの精神構造って、本当に独特なんだと思います。アーティスト専門のメンタリストがいてもいいと思いますよ。アーティストにかかわる人には、そういうことも知っていてほしいですね