長谷川喜久

長谷川喜久

美術領域 日本画コース 教授

1964年
岐阜県生まれ
1988年
金沢美術工芸大学 大学院修了
日展特別会員、新日春展理事

受賞歴・展覧会

1989年
全関西美術展第一席('91読売新聞社賞)
1991年
日春展奨励賞
1992年
川端龍子大賞展大賞
1993年
上野の森美術館大賞展フジテレビ賞
1997年
日春展日春賞('98)
京展市長賞(他受賞4回)
1999年
日展特選('01・'05会員賞、'19東京都知事賞)
2002年
京都新鋭選抜展第一席、文化庁主催美術展
2004年
万葉日本画大賞展準大賞
2009年
クロスアートⅡ ARTのメリーゴーランド展(岐阜県美術館)
2010年
個展(JR名古屋高島屋、高島屋大阪店・東京店・京都店)
2011年
上海美術館主催長谷川喜久展(上海美術館)
2012年
上海美術館個展報告展(加藤栄三・東一記念美術館)
2013年
個展(大丸心斎橋・京都店)
2014年
アートフェア東京 長谷川喜久墨彩画展(東京国際フォーラム)
今をいろどる〜現代日本画の世界サテライト長谷川喜久展(岐阜県美術館)
個展(藤崎本店/仙台・JR名古屋高島屋、高島屋大阪店・福山天満屋)
2015年
個展(日本橋三越本店‘18)
2016年
長谷川喜久日本画展-巡る季節に-(松坂屋名古屋店‘20)
創と造 現代日本絵画・工芸 新作展(五都美術商連合会主催)
建仁寺塔頭両足院 奉納記念 長谷川喜久 日本画展(建仁寺塔頭両足院/京都)
2017年
個展(阪急梅田)
2018年
「美術の窓」挿絵原画展(ギャラリー和田)
個展(JR名古屋高島屋、髙島屋大阪店)
2019年
目で見る名曲集-GORO NOGUCHI GOLDEN HIT PARADE-プロデュース

絵の深み

 本学西キャンパスK棟のアトリエにお邪魔した。描きかけの風景画がいくつも床に散らばる。壁にも、これもまた描きかけの大小さまざまな花鳥画。鮮やかな色使いがパッと目に飛び込んでくるが決して単調ではなく、細やかな色の組み合わせに目を奪われる。繊細に組み立てられた構成も心地良く、なんとなくリズムを探したりしながら、気がつけばじっと絵に見入ってしまっている。“魅せられる”とは、こういうことなのだろう。

「小さい頃から絵が好きで……、ありきたりですけどね」と前置きしつつ話し始めた。日本画との出合いは明確で、小学生時代に見た加藤栄三(1906-1972)だったという。「小学校2年の時カラリストとして有名だった加藤栄三先生の遺作展を見に行きました。青色の綺麗さとか、でも色だけにとどまらない情感の深さみたいなものを感じたのです。子供心にこの絵はほかと違っているなと衝撃を受けましたね。遺作展なので、作家の時代の変遷を一覧できるようになっていて、殊更強く感じるものがありました。その後、中学でバスケットとバンドに明け暮れ、絵のことはすっかり忘れちゃうんですけどね(笑)」。
それでも美術への思いは消えておらず、高校は地元岐阜の美術科のある学校へ進学する。「高校へ入ったときは、日本画じゃなかったんですよ。洋画とデザインでしたね。ただ、洋画の絵の具と体質が全く合わなかった。よく水性のものに馴染みがよくて油はダメってあるじゃないですか。僕もその一人。デザインの画材に対してももう一つしっくりきませんでした。当時の先生たちももてあますところがあったんでしょうね。先生同士でトレードするみたいな形で、日本画専攻になってました」。
 自身で日本画を選んでいないような話しぶりだが、光るものがあったのだろう。もう一つ、進学についてのユニークなエピソードを。「金沢の大学へ行くんですが、受験は東京の学校へも願書を出していたんですよ。ところが、受験日をすっかり忘れていて、母親から何やってるのといわれて気がつきました。試験を受けに行かなくても不合格通知が来るんですよね。受けてもいないのに不合格通知をもらって気分悪いじゃないですか。その状態で本命を受けなきゃいけないみたいなことになって……」。本人は決してそうはいわないが、それは意志なのではないだろうか。自分で選び、退路を断つ。忘れていたとしても、それほど関心がなかったということ。自分の進みたい道へ賭けてみたいという堅く強い意志を感じさせる。

「基本的に20代の頃は年間1500号くらいは描こうと、それくらいのペースを守っていましたね。アーティストとして、やはりそれくらいの量はこなしていかないとと思いずっとやってきました。今でも年間1000号は描いています」。1枚に更なる時間をかけて制作枚数を減らし描きつめていくスタイルもある。もっと多くの作品を制作する作家もいる。しかし、創作の指針を決め、それに取り組み続けていることが重い。「5年、10年と目標を立ててやっていますよ。何年かに一度は大きなサイズのものを描きたいと思います。自分の作品を展示するときに大きな作品が節目節目で出てこないとバランスもよくないだろうし」。
 現在は風景と花鳥を主としているが、以前は人物を中心に描いていたという。「人物を描くと自画像になるんですね。少なからず自分が含まれます。自分の疑似体験の物語のようになっていったのですが、それでいいと思って描いていました。しかし、そうなると体験していることしか描けない。自分の中にある感情や人格に根差したものしかできない。あるとき、尊敬する作家が同じようなことをおっしゃっていました。今では、絵画はもっと幅が広くて自由であっていいのではないかと考えています。自分の中にあってもなくても、見た人の共通認識を呼び覚ますものもありますし、もっと広くものを見るようになりましたね。絵を描いていると、おそらく誰でも人物、風景、花鳥と少しずつテーマが変わっていったりします。そうした変化も自分なりに大切にしたいと思っています」。

 去年は大きな変化の一年であった。これまでと同じでいいのか、芸術に限らずすべての領域でそのあり方が問われた。「僕がやっている企画では、自治体や市、県であったり、あるいは国、公共の方々と仕事をすることが多々あります。その様な活動の中で考えをまとめていくと絵や芸術が必要な場所、そこに音楽を発表したり美術品を存在させたりする必要性のある場所、そうしたものが見えてきます。そんな時に数字では測れない働きをかける。アートにはそうした役割があると思います。僕は若い頃からそうしたことを体験できるよう、上の世代の人たちに機会を与えられていた気がします。我々がやってもらったことは、同じように次の世代に伝えていく義務がある。アーティストは一人で創作を行っているように思われがちですが、実際はいろいろな人とのつながりで成り立つ事が多いです。そうしたかかわり合いを持ちながら進めていくスキルを身につけて欲しいと思いますので、今後もこの方法論を継続していきたいですね」。
 もう一度、絵を眺める。温度や湿度、絵の中のその場の空気を感じさせる。込められているものの大きさがそう見せるのだと気づかされた。

絵筆や岩絵具など、さまざまな画材が並ぶアトリエ。江戸時代に作られた墨もあり、年代が古くなるにつれて墨色も変化し味わい深い表情が出るといいます

双龍図(金寶山 天澤院/2019年8月26日完成)

富士高峻

共讃の花花

真夏の夜の夢

建仁寺両足院奉納屏風

湧く雲に立つ

七彩の季

紅白牡丹図屏風