古川博

古川博

ミュージックエンターテインメント・ディレクションコース 非常勤講師
株式会社 ホタルギグ 代表取締役

1982年
福岡県生まれ
2004年
音楽学部音楽文化応用学科 音楽ビジネスコース卒業
日本シアタサービス 入社
2007年
ロンドン留学
2009年
舞台照明業務とグラフィックデザイン業務を主とするコンサートサポート会社「ホタルギグ」設立
2016年
カブキカフェ「ナゴヤ座」をオープン
日本照明家協会「新人賞」
2019年
日本照明家協会「奨励賞」

人をつなぐ仕事

 名古屋駅から歩いて15分ほど、近代的なビルとは対照的な下町情緒あふれるアーケードが円頓寺商店街である。一時はいわゆるシャッター商店街として消えていってしまうのではと思われたが、近年では空き店舗をリノベーションした新しい店が増え、シャッター商店街再生の好例としてメディアで扱われることもしばしば。今回の取材先は、この円頓寺商店街の一番奥、五条橋にほど近いカブキカフェ「ナゴヤ座」。和洋折衷、ド派手なイケメンたちの華やかなパネルが並ぶ。歌舞伎でなくカブキ。芝居? 大衆演劇?? コロナが蔓延する以前は、女性客たちが入場口に列を成している姿がよく見られた。「もともとは、この場所でなくても、カブキじゃなくても、なんでもよかったんですよ!」 快活にいい放った。

 エンターテインメントとのかかわりは高校時代にさかのぼる。ベースを手に友人たちとバンドを組み、高校生ながらライブハウスに出演、そこそこに人気を集める存在だったという。それがいつからか、自分の興味が音楽ではなかったことに気が付いた。「最初のうちは、練習して上手くなっていくことが楽しかったんですが、ある程度までいくとまったく練習もしなくなりました。友人たちはどんどん上手くなっていくのに、僕だけ上手くならない。なぜだろうと考えたら、ライブなんです。ライブでお客さんが楽しんでくれるようになると、まったく練習しなくなりました。自分がやりたかったことは音楽ではなくて、みんなと楽しい時間を過ごす、楽しい場を創るっていうことなんだと気が付きました」 音楽もベースも手段であり、目的は違うところにあった、と高校生にして気が付いたというからユニーク。演奏者になるよりもそういった場を創る仕事がしたいと考え、自分の進む道を探した。当時、本学にできたばかりの音楽ビジネスコースに行き当たるのも必然か。第一期生として入学する。
 在学中は、思い切りやりたいことができたという。芸大祭のライブを抜本的に改革し、さまざまなジャンルのライブを複数のステージで行う音楽フェスの形式を持ち込んだりもした。「本当にいろんな経験を好き勝手やらせてもらいました。たぶん、やっかいなやつだったと思います。竹本学長にも森泉先生にも、当時から本当にお世話になりました」。

 人を楽しませる仕事、その気持ちに変わりはなかった。卒業後、舞台を制作・運営する会社に就くのは当然の流れだった。しかし、本人はもっと遠くを見ていたようだ。「現場がどうやって動いているか、現場レベルで技術や運営がどうなっているか、そうしたことを知っておきたかったんです。すべて身につけ全部わかった上でプロデュースしたい、こうしたいです、といわないといいものは作れないだろうと思っていました。それで舞台会社に入りました。でも、ある程度経験を積んだら辞めようと、そういうつもりで働いていました」。
 かくして、3年ほど働き、それまでに貯めた資金でロンドンに語学留学へ。あらゆるジャンルの音楽・舞台を見て回ったという。面白いのが、ロンドンでもイベントを開催していたという。「ロンドンは学生ビザでもアルバイトすることができます。クラブのバンド募集を見て知り合いになり、そのバンド主催のイベントを企画してやっていました。自分の持っているスキルや経験を生かしてできることをやろうと。イギリスのお客さんはアートが好きで、そのときは音楽とインスタレーションを合わせたイベントをやっていました」。
 帰国後、フリーとなりコンサートサポート会社を立ち上げる。仕事をする中での出会いがその後を大きく変えていくことになる。「大須でロック歌舞伎をやっていたスーパー一座の原智彦さんと出会いまして、それで歌舞伎や演劇の世界を知るようになりました。それから日本舞踊西川流の家元の西川千雅さんと知り合いになって、名古屋武将隊のOBたちとも出会い、原さん、千雅さん、武将隊、そして僕。そのとき集まった人たちでベストのものはなにかと考えたとき、できたのがこれだったんです」 円頓寺商店街を使ったイベントを企画した。「『名古屋心中』という歌舞伎の演目を、商店街のさまざまな場所で第一幕はここ、第二幕はここ……と、場所を変えながらやりました。それで円頓寺とも縁ができて、カブキカフェ『ナゴヤ座』へつながっていきました」。

 ナゴヤ座を始めてみたが決して順風満帆だったわけではなかった。舞台を存続できない、潰れる寸前のところまで追い詰められたこともあるという。「貯金も尽きて、来月の家賃も払えないというところまでいきました。役者と一緒に舞台に立ちお客さんに頭を下げ、協賛金をお願いしました。もう何ヶ月か舞台を続けさせて下さいとお願いするしかありませんでした」。
 協賛金で一時はしのげたものの、反省して運営の方法を考え直した。そこで思い至ったのは自分の原点だった。「人なんです、やっぱり人。僕は人が好きでこの仕事を始めました。その頃は、クオリティだったり舞台の内容だったり、そうしたことばかりを考えていました。そうではなく、大事に思ってくれる人を増やすことや人を楽しませることをしっかりやろうと。いままで忘れていたことに気付かされたと思っています」 考えを変え、お客さんに楽しんでもらう工夫を凝らすと売上はみるみる回復。コロナ禍に見舞われている現在も舞台を続けられるよう知恵を絞って対策し、今もお客さんを楽しませ続けている。

「あくまでもこれは手段だよって、学生にはいっています。エンタメコースへ来て照明を勉強してとか舞台の勉強したといっても必ずしもそうした仕事に就かなくてもいい。手段を持つことや増やすことは大事だけど、それよりもどう生きたいかが大事だよと。楽しいのは、自分が進み続けること、成長し続けること、知らない人と出会い続けること」と語る。高校生の頃描いた将来の通りに生きてきた。理想としてきた大人に近付けたという。「ただ、僕はここでは満足してはいけない。自分ももっと大きな場所でやって、もっとたくさんの人とかかわって、たくさんの笑いや笑顔がある、そんな所まで行きたいですね」。

ナゴヤカブキ「SEIMEI」

ナゴヤカブキ「THE NARUKAMI」

極上ナゴヤカブキ「SEITEN TAISEN」2019@千種文化小劇場

極上ナゴヤカブキ2「DO-MAN」2021@千種文化小劇場

円頓寺商店街七夕祭り2016

芸大祭2002での演奏

カブキを楽しむための工夫が随所に施される劇場。缶バッジ付きの「おひねりガチャ」や「オヒネリnow」の表示で舞台もお客さんも盛り上がる。コロナ対策では、舞台の無料配信を週2回行う。「毎週無料で配信しているところは日本全国探してもうちだけだと思います。見てもらう人の絶対数を増やして、なにかちょっとした収入につなげるようなアプローチを考えますが難しいですね。こういった情勢をポジティブに考えて、できることをどんどんやってみています。ビジネスってなにか、と考えたとき、生活のルーティンにどこまで入り込めるかということが一番大事。トヨタはクルマを売っているだけでなく、クルマのある生活を売っているんだと聞いたことがあります。演劇でなにができるかと考えたとき、観劇が生活の一部に入り込むこと。週末、ひいきの役者を見て知り合いと会って息抜きできる場所、そんな場所を作ろうとやっています」