NUA-OB
所 克頼(ところ かつより)
サクソフォン奏者
フリーのサクソフォン奏者としてソロや室内楽での演奏や講師等東海地方を中心に活動。デュオ・ピクニック、クレセントカンパニー、妄想会議、竹林笹頼メンバー。ナゴヤサックスフェスタ実行委員。
ツライですよ。でも、ツライけど楽しい。
2004年、大学院1年目の夏だった。後に教示を受けることとなるオーティス・マーフィー氏のコンサートを聴き、公開レッスンを受ける機会に恵まれた。それまでにも、アメリカに漠然とした憧れがあった。器楽演奏者が留学を考える場合、通常なら欧州を選ぶのが定石である。サックスは仏、パリへ渡航する場合が多い。聞けば、パリで研鑽するアメリカ人演奏家も多いのだそう。しかし、アメリカへ憧れた。「なにか人間味というか、暖かさを感じるんです」 アメリカというフィルターを透して見た欧州に惹かれたところもあるかもしれない。欧州とは何か異なった、音楽の作り方、演奏方法、楽器の操り方……、憧れは紡がれた。そして、マーフィー氏の音。生で触れ、心の中で何かが弾けた。「今、アメリカで教わりたい!」 翌日、すぐに担当の先生に相談した。「今は、熱が入っているところだから、よく考えなさい……」 当然の助言だ。院を終えてからでも遅くはない。しかし気持ちがまさった。「いやっ、今だからこそ。気持ちが変わってしまうことも怖かったんだと思います。できるなら今すぐ行きたいと。どこをどう考えても行きたかった」 結局、大学院を退学しても2年以内ならば復学できるという制度を利用、2年生になる前にアメリカへ渡った。
幼いころから始めたピアノ、中学では吹奏楽部に入りサックスと出会った。その頃には音楽教師になりたいという希望を抱き、音大への進学を決めていたというから早熟だ。「じつは、ピアノとサックスの両方をやっていたんですが、まず音大へ行くというのがあって、それでピアノを練習するより、サックスで受験することを勧められ、サックスを選んだんです。自分で決めたわけじゃないんです(笑)」 高校時代の3年間は受験勉強のためにサックスを練習していただけで、その面白さには気づいていなかったという。大学に入ると、それまで練習してきたことが血肉となったのか、改めて、サックスの深さ、そして音楽の面白さに惹かれていった。いつしか、教師になるよりも、演奏家になりたい、と思いも変わっていた。
「1年間のうち、半分はスランプですよ〜」 日々の練習もバリバリこなすのかと思えばそうではないらしい。「楽器をケースから取り出すことに億劫になって、なかなか進まないんですよ。練習を始めるだけでも大変。やる気を出して練習して、本番やって、反省して、また、やる気を出して……、いつまで続くんだろうと、ちょっとネガティブに考えちゃうこともあるんです。ツライですよ。でも、ツライけど楽しい(笑)」
「お客さんに『いい曲だったね』と言ってもらえることがあるんです」 「いい演奏だった」というよりも「いい曲だった」と言われた時が最高にうれしいと語ってくれた。自分も魅せられている音楽の魅力が、オーディエンスに伝わった証なのだろう。