西村正幸(にしむら まさゆき)
大学院美術研究科 美術専攻
美術学部 アートクリエイターコース
版画コース 教授
学生時代から京展に版画を出展、2度の入賞を果たす。1983年の初個展以降、兵庫県立近代美術館「アート・ナウ」、関西若手作家たちによるムーブメント「YES ART」に参加、80年代の「関西ニューウェーブ」の流れを汲む作家として活躍。90年代以降は、戦争被害へ強いメッセージ性を持つ作品を発表し続ける。
作品は人なり
版画をベースとした、絵画、立体、インスタレーションとジャンルの枠にとらわれない作品。見た目には優しげだがどれも強烈なメッセージを帯び、見る者にストレートに伝わるダイナミズムを持ち合わせている。柔らかでいて直線的な、ユニークな作品の根源はどこにあるのか。「オリジナリティって何? 学生にも言うんですが、自分の中から待ってて出てくるもんじゃなくて、絶対、人からもらったものやと。見たり、聴いたり、やったりしたことが自分の中に溜まって、全然違う人の考えなんかが自分の中でひとつになったとき、そのときに自分のオリジナリティになると思うんですよ」 作家が産み出したものには、意識的であれ無意識であれ、作家自身の考えや問題、経験などが投影されているものである。優しくも激しい作品たちの始まりの場所を伺ってみると、少年時代のことを話し始めた。
屈託のない柔らかな関西弁で饒舌に語られる現在にいたる道のりは、興味深いものだった。スカウトが来るほどの野球少年、小学校でオペラに目覚め(悲恋もの!)作曲家を目指したこと、肩を壊して野球ができなくなったこと、目標を失い心がズタズタになった10代、キリスト教との出会い、大学でたたき込まれた自由、先生たちとの諍い、関西ニューウェーブ、伝えることの難しさ、伝わることの大切さ、版画、デザイン、吉原英雄、井田照一、山本容子……、すべてを伝えられないことが残念でならないが、これまでの人生すべてが糧になり、ストレートに作品の血肉になっていることが理解できる。「文は人なり」ではないが、「作品は人なり」ということをあらためて強く感じさせる。
「アートの役割のひとつに、メッセージを伝えられるというのがあると思っているんです。そして、誰かのためにアートがあってもいいんじゃないか、とも思っているんです」 これまで、自分のいいたいことを表現するのがアートと考えられていたが、例えば、戦火に巻き込まれた子ども、あるいは、病理を受け入れるほかない患者、そんな誰かのためのアートも存在できるはずと考えた。誰かを大切に思う気持ち、“寄り添う心”が端緒となった作品作りもアートの一部だという。作品ごとに手法が変わることも、先ず表現したいテーマありき、の結果である。自分にできることをできるだけやりたい、そんな素直な気持ちが伝わってくる。
「アーティストはひとりでやるものと思っていましたが、僕は早い段階で違うということがわかった。特段、鋭かったとかじゃなくって、たまたま巡り合わせでね」 大学院修了直後に開いた初めての個展で強く感じたという。「ギャラリスト、先輩の作家、新聞や雑誌の記者、ひとつの個展でもいろんな人が係わっていることが見えた」 90年代のアート界、とりわけエネルギッシュだった関西のアート界には、若手を育てようという気風が色濃くあった。その中でさまざまな経験をし、大いなる刺激を受けた。そして、次の世代を育てる立場になった。同じ経験をしたアーティストたちに、気風はしっかりと受け継がれているようだ。表現に、作品に、あるいは将来に迷ったとき、安心してぶつかっていける確かな存在。熱く真っ直ぐな心根に、晴れやかな気持ちになった。