河原元世(かわはら もとよ)
大学院音楽研究科 器楽専攻
音楽学部 ピアノコース 教授
名フィル新人紹介コンサートにおいて、名古屋フィルハーモニー交響楽団と、ベートーヴェン「皇帝」協演。その後も、名フィル等と、モーツァルトの20番・23番、ベートーヴェンの3番、ショパンの2番、グリーグ、サン=サーンス等、多数協演。ソロリサイタル、室内楽、器楽・声楽・合唱等の伴奏多数。ラジオ・テレビ出演多数。中部ショパン協会理事、芸術協会会員、日本ピアノ教育連盟会員。
名古屋市、岩倉市などとの大学連携講座、ヤマハでの講座などを担当、国内コンクールで審査員を数多く務める。
愛する ということ
「みんな教え子たちが持ってきてくれたものなんです……」 ピアノの上には愛らしいテディベア、小さなぬいぐるみ、造花のブーケが所狭しと並ぶ。そして、レッスン室の全ての壁に写真が飾られている。リサイタルや発表会のものだろう、着飾った教え子に寄り添うようにして立ち、にこやかにポーズを取る師弟の写真ばかりだ。「この部屋で27、8年、もう30年近く経ちます」 大学院を修了した'72年から本学で学生たちを導いてきた。 240人以上もの学生が指導を受けてきたことになるという。「教えることが性に合っているのか、大好きなんです」。
愛知県立芸術大学、県芸の第一期生だそうである。小さな頃、おもちゃのピアノを鳴らせて遊んでいたことが、本格的にピアノを始めるきっかけとなる。ここからピアノ一筋、というわけではなかった。誰しもが道に惑うのと同じように、自分の将来に音楽の道がつながっているとは思っていなかったという。「高校は普通科だったんです。音楽の学校へ行こうとは思っていませんでした。でも、たしか高校3年の2学期だったか、模擬試験の成績が悪くてあっさり進学はあきらめて、やっぱり音楽へ行こうかなって(笑)。ピアノは好きだったけれど、一生涯“好き”のままで終わらせたい、そう思っていました」。 当時、付いていた先生が素晴らしかった。「先生に習っている子はみな音大へ進む子ばかりでしたが、普通科の自分も同じように扱ってくださって……」 理知的で、厳しくも温かい指導者との出会いを思わせる。大学に入ってからも、心は揺れた。「ほとんどの学生が音高出身でしたから、こんなにも競争の激しい世界なのかと、初めの頃は小さくなっていました。当時、ウィーン国立大学から先生が来られていて、私は、英語も独語もダメで、すごく叱られたことがあるんですが、何を叱られているのかもわからないような状態で……。二人の外国人の先生に付いて、もう本当に、大変でした。でも、その分、勉強になった。その1年で、音楽をやっていこうと思いました」 そして2年生になって、生涯の師、大堀敦子先生との出会いがあり、ピアノへの思いは、より強く深いものへと昇華していった。
「ピアノはオーケストラと同じ。全て自分一人でできる楽器。激しさも、優しさも、バッハ、ベートーベン、ショパン、いろんなイメージが表現できる、印象派も現代も……。そして、個人としても同じ演奏は二度とできない。それを全て、自分一人で、できるのがピアノ」 ピアノの魅力は、同時に、自分一人で立って進んでいく厳しさでもある。全てを引き受けてこそ、“好き”だけでは得られない、何かが見える。
「心を込めて弾くこと」 学生たちに大事にして欲しいことを問えば“心”と教えてくれた。いくら達者に弾けても心が入ってなければ、聴く人々の心に響かない。「あがったっていいんです。冷静にちゃんと弾くことよりも、ちょっと破綻があったとしても、熱の入った語りかける演奏が胸に突き刺さるものですよ」。「心を込めることなら、誰でも世界で一番になれることでしょう」。「今、一緒に勉強した学生達が、多方面に渡って活躍してくれているのが、何よりうれしく、幸せです」と、微笑んだ。教え子たちの師を慕う気持ちが、少し解った気がした。誰よりも純粋にピアノを愛している。
1976年にはじめての卒業生を送り出してから現在までに実に240人以上の学生を指導してきた。2007年に行われた「河原先生 還暦をお祝いする会」には大勢の門下生がお祝いに駆けつけ、「私の娘も先生に教えて欲しい」など、先生の益々の活躍へのエールを送った。
はじめて名古屋フィルハーモニー交響楽団と、名古屋市民会館大ホールでベートーヴェンの「皇帝」を協演しました。足が震えました。あと、ソロリサイタルや作品発表の写真です。チェンバロも大好きで、よく弾いてきました。
人前で演奏するのが本当に苦手で、演奏会も出たくなくってため息ばかりでした。でも、やっているうちに達成感を感じるようになって。一所懸命練習してあれば、例え舞台で上手くできなくてもいいんです。苦労して積み重ねたものには、見るべきものがあると思います。