瀬田哲司(せた てつじ)
デザイン学部 クラフトブロック
メタル&ジュエリーデザインコース
准教授
http://www.setatetsuji.jp/
小さくて 大きなもの
その昔、英国の作家、ラドヤード・キップリングは記した。“Oh,East is East,and West is West, And never the twain shall meet, Till earth and sky stand presently At God's great judgment seat.”「東は東、西は西、両者がまみえることは決してない。神の偉大な審判の席に天地が並んで立つまでは」 (“The Ballad of East and West”『英語の名句・名言』より 別宮貞徳:訳) 現代に生きる私たちは、作家が考えるほど世界が大きいものではないことを知ってしまった。テレビの衛星中継ですら今や昔の話、IT、ネット、スマホ……、現代人は、地球の裏側で起きたことを瞬時に知る世界に生きている。技術や文化は相互に行き来し、洋、邦の区別はその意味を小さくし、地球上の人々は同じ物を手にすることができ、遠くの人を身近に感じて生活できるようになった。世界はたしかに小さくなった。西と東は混ざり合った、と思っていた。
「よかったら、触ってみてください」 “生き写し”という言葉では足りないほどに生々しい小枝が、丁寧に整形されたフレームに、今度は文字通り、つなぎ目なくつながる。自然と人工物がバランスよく手の中に収まる。ひやりとした金属の冷たさと期待どおりの重量が掌に心地いい。
「アートとしてのメダル」、そのことにあまりピンと来ていなかった。メダルといえばオリンピックのメダルのように褒章としての意味が強く、アートとして強く認識していなかった。たしかに欧州の博物館ではどこでもメダルの展示があり、レリーフ彫刻などと同じように芸術品として取り扱われている。見せられたコンテンポラリーアートメダルは、これがメダル! と思わせるような、それぞれが多様さと独自性を持っていた。紛う事なき“アート”の世界。 「FIDEM(国際美術メダル協会)の場合、展覧会としては20cm以内という規定があるんですけど、メダルそのものの規定は決めていないですね。実際、巨大なものを出品した人もいます。メダルというといろんなイメージがあって、例えば、片手で持てるというのもひとつのイメージ。丸かったり、素材が金属だったりとか、いろんなイメージがあります。それらの既成概念としてのイメージをすべて満たすか、あえて一部だけ使って、例えば大きさを外すのもひとつだし、形を円盤じゃなく立体的なものにする、といった表現があります。いろんな人が持っている既成概念をうまく利用して表現できる面白さがあります。全部外しちゃうとメダルじゃなくなる、全部クリアしちゃうと枠から外れきれない……」
美しい色合いは、煮込み着色という日本の伝統的な手法によって作られたものだそう。「海外には無い技法で、アピール力は強いです。欧米で作品を発表するとなるとサイズが大きくなきゃダメと若いときから言われてきたんだけど、FIDEMやBAMS(英国美術メダル協会)の会議に行くと、みんな“ちっちゃい”ものが好き! こういう人達もいるじゃないかと発見しました。こういうサイズの造形っていうのは日本の工芸の中にいっぱいあります。根付だとか印籠とかもそうですね」 日本には鋳金の文化がある。欧州にはメダルの文化がある。その二つは今までクロスしていなかった。FIDEMでのグランプリ受賞は、その初めての接点にな るかもしれない。
「コンテンポラリーなメダルの文化を日本にももっと広めたいですね。日本の鋳金の技術と文化を知ってもらいたいし、ヨーロッパのことを日本にも広めたい」 西と東は、思うほど混ざり合っていない。アートには、やれることがまだまだたくさんある。そう強く感じさせられた。