神戸峰男(かんべ みねお)
美術学部長
夢中に、流れるままに、
土岐市と可児市の境界のあたり。県道を折れて私道だろうか、車のギアを下げ坂道を100メートルほど駆け上がるようにして登ると、森の中に巨大な建物が現れた。文字通り、山中の一軒家。主は、にこやかに迎えてくれた。そこここに作品が置かれ、さながら美術館である。純和風建築でありながらどこかモダンに感じる建物は、飛騨古川町に在ったものを移設したもの。縁あって譲り受けたものだそうだ。明治初期に建てられ、もとは医院として使われていたのだという。普段、書斎として使われていると思しき掘り炬燵の部屋に通された。隣の床の間には、郷土の画家、前田青邨の軸が掲げられている。明治になって解禁された檜や欅が贅沢に使った柱たちは、100年以上経った今でも、その香りを放つ。
時の流れの大きさと巡り合わせの不思議に、思いを馳せる。「美術の歴史を眺めていると、その大きな流れの中に自分も居るんだなと思いますね。その世界の一端、末席にいて、でも、その流れに棹さしたところでどうなるとも……」 大学時代、清水多嘉示、木下繁という日本を代表する彫刻家に師事した。当時、学内には三坂耿一郎、井上武吉、山口長男ら、錚々たる顔ぶれが揃っていた。一升瓶を手土産に、自宅やアトリエに押しかけることもしばしばだったという。「清水先生、木下先生のアトリエに作品を運び入れて、黙って見ていただいているだけで、自分の作品の欠点に気付いていくものです」 清水から「彫刻」を、木下からは「制作への姿勢」を学んだという。アトリエの作品たちは、アントワーヌ・ブールデル-清水の流れを汲み、瑞々しく立っている。
「大きな流れの中にいて、そこで大事なことは『個』であること。『個』でなきゃ、一人であることが大事。あえて言えば、『個』であるために必要なことはやってきましたね。自分の『かたち』が言えるようになるためには、作品が構築的意志を持たなければいけない。言葉としての作品を大切にしたい」
彫刻作品は、長い生命を持っている。古代文明の多くの彫刻群が、作者はわからぬまま愛され続け、今も人を魅了し続ける。歴史を突き通すように、形を変えず彫刻はあり続ける。そのためか、彫刻家と呼ばれる人間の視線は、他の芸術家よりも遠くを見ているように思うことが多い。その言葉は、いつも原点に立ち返り、本質を射る。
「問題はいつも自分自身です。その問題に、正直に向かうこと。目の前に現れた現象に対して、正面から捉えればいい」 夢中に、流れるままに、やってきただけという。思う結果と違うかもしれないが、それでも結果は出る。そしてそれを運命だと思って受け入れる。ただし、いつも夢中でいられるように、自分の問題に真摯でいる。最も難しいことが、じつは一番簡単で、最も遠回りが一番の近道じゃないかと、優しくも厳しく、問いかけ続ける。