NUA-OB
横山豊蘭(よこやま ほうらん)
書道家アーチスト
http://www002.upp.so-net.ne.jp/houran-kai/
書は書家の高木聖雨先生に師事
オロナミンC「元気はつらつぅ?!」(大塚製薬)。新日本石油(ENEOS)「Your Choice Of Energy」。
「スマステーション」(テレビ朝日)新聞広告題字。EDWIN「GO GREEN!!」雑誌広告。
「みのもんたのニッポンの品格」(TV東京)などTV番組、商品ラベル、書籍ほか、多くの題字作品。
書ハ美術ナラズ? 書道は日本のアートだと思う。
茶室に招かれたとき、あるいは古刹で、もっと身近なところでは時代劇や漫画の題字で、私たちは「書」を目にする。昔の人は字が上手かったと感心したり、味のある題字に心奪われたり、書にとりわけこだわりのない人でも、それぞれに何かしらの感想を持つのではないだろうか。書道は芸術であると、当たり前のように思う。しかし、本当にそうであろうか? 芸術大学である本学には、書道を教える専門のコースはない。本学のみならず、日本中の芸大で専門的に書道を教えるところはないそうだ。芸術のはずなのに芸大では扱われていない。これが書道の置かれている立場なのだという。
「僕自身、高校時代にとても悩みました。小中学校では書写を誰もがやりますね。高校へ入ると書道というふうに名前が変わります。でも何故名前が変わるのか、何故それが芸術なのか、誰も教えてくれない」 自分のやりたい「書」の道を巡り考えた。高校では書道は芸術選択の範疇である。ならば芸術の分野であるはずだ。しかし、書道を専門に教える大学はない。書道は自己表現たり得ないのか。「美術大学に入りたいという気持ちがありました。芸術がやりたい、自己表現がしたい、という気持ちです。書道というものをやっていこう、芸術分野の書道というのに進もうと思ったわけです。でも、ひとつもないんです」 大学は、洋画科へ進んだ。書道は芸術大学ではできないと思っていた。
しかし、「書」への思いは止まらなかった。高校時代から気になっていた書の置かれている状況を根本から調べ直した。何故、書は芸術と分離したのか。書も芸術も、よく知らないまま、批判することなどできないという思いが行動に変わっていった。筆を使うことが日常だった時代からペンや鉛筆が登場した時代を経て、明治時代に今でいう「芸術」としての書道が始まり、そして表題にもある「書ハ美術ナラズ」という洋画家 小山正太郎と思想家 岡倉天心の論争に行き着いた。岡倉は、書は美術でないとする小山に反論するものの、自身が設立に関わった東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)に書道科は置かなかった。こうして書は、芸術から外れ、曖昧なまま取り残されていったことがわかった。
学生時代は、書の研究と同時に、さまざまな分野の芸術に触れることができる機会でもあった。美術やデザインを専攻する友人との交流。芸術、アート、Artの違いとそれぞれの価値観を肌身で感じた。「書道をもう一度、捉え直してみようと思いました。アートという観点から書道を語ることができないかと」 こうして書道パフォーマンスが始まった。「作品だけでなく、パフォーマンスを見てもらうことで大きな輪ができてきました。表現が伝わることによって今の形になってきていると感じています」 大学でアートと書道について考えたことが、後のステップへとつながっていった。
4月に美術学部の専門選択科目で開講された「書道アート」は、191人もの学生を集め大盛況となった。しかし、いまだ専門に学ぶことのできるコースがないことには変わらない。書道はまだまだこれからの領域である。今、私たちは、新たな芸術領域が確立されようとしている現場に立ち会っているのかもしれない。