名古屋芸術大学

マスターtoアーティスト

ダニー・シュエッケンディック(Donny Schwekendiek)

音楽学部教授

http://www.donny-jazz.com/

1955年
アメリカ、ジョージア州アトランタ生まれ
1974年
ジョージア州立大学
1977年
サン・マテオ大学
1979年
UCB(カリフォルニア大学 バークレー校)応用物理学専攻
1982年
レイニー・カレッジ(GENERAL MUSIC STUDIES)
サンフランシスコにてジャズピアニストとしてプロデビュー
ベイ・エリアで活躍するボーカリストFaye Carol(フェイ・キャロル)のバンドメンバーに
1984年
コンコード・ジャズ・フェスティバル出演
1985年
ドイツツアー
1988年
初来日、以降、国内で演奏する機会が増え、一旦はサンフランシスコに戻るも機会を見て来日
1994年〜
ヤマハでジャズピアノ講師
2001年〜
本学音楽学部ジャズ・ポップスコース講師
アメリカでは、アニタ・オデイ、ミルト・ジャクソンらと、国内ではケイコ・リー、八神純子など多数のボーカリストと共演

ブルースをさがして

 サンフランシスコ・ベイエリアで活躍するシンガー、Faye Carol(フェイ・キャロル)のバンドのオーディションで採用され、プロのピアニストになった。経験も少なく、未熟だったダニーにかけられた言葉が「私のレパートリーのすべての曲にはブルースがある。私のバックを演奏するのに必要なのは、楽曲の中にあるブルースを探して、音を出すこと。それがあなたの仕事……」

 夕食後、毎晩、ピアノやギターでセッションを楽しむことが当たり前の、音楽に親しむ家庭に育った。1963年のヒット曲、ザ・サファリーズのワイプアウト(The Surfaris,Wipe Out)の印象的なドラムを真似てタンバリンを叩いたのが8歳のとき。両親は、すぐに子供用のドラムセットを買い与えた。少年は、ピアノではなく、ドラマーとして音楽を楽しみ、聴くようになったという。ビルボードでビートルズがチャートを席巻するのが64年、翌65年にローリングストーンズのサティスファクションがNo.1ヒットとなるのだが、少年の心を熱くしたのは、その後の70年代、プログレッシブ・ロックだった。イエス、キングクリムゾン、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、ジャネシス……、アメリカの南部の町で英国のバンド、しかもヒットチャートを賑わすようなものではなく、実験的な先鋭的な音楽に夢中になっていたというから、ちょっと背伸びした大人っぽい考えの10代だったのだろう。しかし、プログレが、ジャズやブルースの影響を受けているといっても、まだ、ピンと来るものはなかった。  

 最初の転機は、16歳の時、レコードショップで訪れる。リリースされたばかりのマッコイ・ターナーのアルバム「サハラ」(McCoy Tyner,Sahara)を手に取った時の衝撃だった。

 超絶的な技巧と怒濤のごとく押し寄せるビート感。このとき初めてピアノという楽器を意識した。幸運は続く、翌年、アトランタの街に1軒だけあったライブハウスにマッコイ・ターナーが出演するという。小さなライブハウスのわずか数メートルという距離で、演奏を見た。ピアノから目が離せない。力強いプレイスタイルに圧倒された。1週間の公演のうち、3回も足を運んだ。そして、それからアルバム「サハラ」の1曲目「Ebony Queen」をコピーしたいと、ピアノを練習するようになった。       

 ドラムとピアノに熱くなるも、大人っぽい考えを持っていたダニーは、醒めた青年になっていた。何故か音楽は趣味として一線を置き、自分の職業にしようとは思っていなかった。高校を卒業後、働きながら名門ジョージア州立大学へ進学、20歳になるとさらに物理を学びたいとカリフォルニア大学で応用物理学を学んでいた。勉学に励むものの、音楽は常に傍にあった。アパートでは、ドラムの練習はできないため、電子ピアノが拠り所となった。時には部屋を借りてピアノを練習することもあったという。しかし、応用物理学とピアノが両立は簡単ではない。カリフォルニア大学で学び始めて2年目のある日、学費が不足し、電子ピアノを売ってしまう。部屋から楽器がなくなったときに、初めてその存在の大きさに気が付いた。「何を考えているんだ僕は、物理のために楽器がない、これは間違いだ!」 音楽の道に進みたいという自分の本心がはっきりした。そして、大学を辞めた。「音楽の道に挑戦しなければ、一生後悔する」 音楽に向き合った時にはすでに25歳。レイニー・カレッジに入り直し、ピアノに明け暮れ、1年後にはプロとしてデビューすることになる。

 オーディションで採用されたものの、ブルースのことはよく分かっていなかった。ブルースは、アメリカ南部、黒人の労働歌から発展した音楽。悲しみ、嘆き、怒り、すすり泣き、これらがない交ぜになった感情を、音楽的に言えば、音程を下げられた音階と特徴的なフレーズで表したもの。ブルーノート・ペンタトニック・スケールと呼ばれる「ド-ミ♭-ファ-ソ-シ♭」の5音階でブルースは成り立っている。ブルースさがしが始まった。そして気が付いた。今まで聞いてきた音楽には、すべてにブルーノートが混ざっ ていた。プログレにも、ジャズにも、ジミ・ヘンドリックスにも、キングクリムゾンにも。意識していなかったが、ブルースを耳にしていたのだ。自分の深いところまで知らず知らずのうちに入り込んでいるのだったと気が付いた。目が覚めたような思いだった。「今でも、トリハダが立ちますョ!」 感動と情熱は、今も広がり続けている。

今の学生は、人前で演奏する機会がたくさんあります。それはとても素晴らしいこと。僕なんか、26歳でデビューするまで人前で演奏したことないョ。

1st CD「keepin' the swing」 2009.10.9

マッコイ・ターナーの「サハラ」1曲目「Ebony Queen」を最初の課題曲に全て独学で練習開始。

1st CD レコーディング(CABALLERO CLUB)

2009.10.9 1st CD 発売記念ライブ

▲ページの先頭へ