なんとかなるものなんです
関西のお生まれで、大学はパリ音楽院、大学院で名古屋芸大、飛び回っていますね
はい。大阪生まれなんですけど、父の仕事の関係で引っ越しが多くて、小学生時代は岐阜に住んでいて、高校は兵庫県なんです。幼少の頃からピアノを始めて、小学生の頃は名古屋の先生に見ていただいていました。中学卒業までは岐阜にいて、その後父の転勤で関西に戻ったので、兵庫県の高校に行きました。高校に入ってから、今もお世話になっている中沖先生にも見ていただくようになり、名古屋へは良く通っていました。
高校は、音楽科ですよね。早いうちから音楽の道へ進もうと決めていたの?
そんなことないですよ。高校は、普通科に行こうか迷ったんですけど、そんなに器用に勉強も音楽も両立させられるタイプではなかったので、それで音楽科を選びました。
でも、高校卒業してフランスへ行くなんて、すごいバイタリティ!
高校に入ってからも実技のレッスンは、名古屋まで通っていたんです。そうしているうちに中沖先生から、今ではこの大学で行われているエコールノルマル音楽院のディプロマの存在をお聞きして受験しにパリへ行きました。後にフランスで見ていただくことになる先生も紹介して頂きました。そこで『パリ音楽院っていうところ知っているよね』という話になって、「もし受験を考えるのであれば、大学を卒業してからでは年齢制限にかかるわよ」というお話だったんです。
それで渡仏を決意したの?
いや、最初は全然そんなつもりはなかったんです。怖いし、フランス語も全然できないし、全然行く気がなくて『ふーん』って聞き流していたんです(笑)。自分としては、普通に日本で音大を受験しようと思っていたんですが、なぜか母は真剣に考えていてくれたようで。「行ってみたら?」と背中を押してくれました。始めは『母がなんかすごいこと言ってるな〜』みたいにしか思ってなかったんですけど(笑)、確かに私も母も、日本で音大に行くにしても、東京の大学へと考えていました。そしたら母は東京へ出すのもパリへ出すのもそんなに変わらないと考えたようで。『こっちは変わるんだけどなぁ……』と思いつつも、高校3年の時に2回目のディプロマを受けて、パリという街に少し慣れてきて、中沖先生の教え子の方でパリ在住の方が、お話してくださったり手伝ってくださったりで、行ってみようと決意しました。
パリには何年いたの?
7年間ですね。パリ音楽院を目指して留学したんですけど入試が難しくて、1年目は全然だめで、2年目も受からなかったんです。3回までしか受験できない制度がありまして、もし次だめだったらどうする、と両親と相談して、公立のパリ区立音楽院というのがあるんですが、とりあえずそこへ行き国立のパリ音楽院を目指すことにしました。ただ、区立の音楽院に入ってまた国立を受けるというと、先生の側からすれば、自分のクラスに入ってきてもまたすぐ出ていくことになるので反対されるようなことを聞いていて心配でした。最初に先生に勇気を出して相談してみると、素敵な先生で国立を受けることを理解してくださって、とても力になってくださいました。結局、その先生からパリ音楽院の先生も紹介していただいて、それでやっとパリ音楽院に合格できました。それから4年間パリ音楽院に行って、7年間いることになったんです。
フランスに行ってよかったなって思うことってどんなこと?
音楽を勉強する環境として、非常によかったですよ。コンサートの数とか、日本ではなかなか聴くことができないような演奏家のコンサートが、学生ならすごく安い値段で聞けたりします。オペラとかももう毎日のようにやっていますし、バレエも見ようと思えば、学生なら5ユーロ(約700円)程度で、毎日でも見ることができます。一流の演奏がすごく身近なんです。またそういう方たちのマスタークラスも学校であれば、無料で聞きに行くことができました。パリ音楽院の学生でなくてもだれでも聞きに行くことができるんですよ。それがすごく大きかったですね。
少しでも気持ちがあればパリに行った方がいい?
少しでも行きたいと思う気持ちがあるなら、行っちゃえばなんとかなるものなんです! 私も今だから言えることだと思いますが、なんとかなるんですよ。パリに留学している人達の日本人コネクションもありますし、応援します。ああ、それから、人見知りとかも治っちゃいますよ(笑)。