名古屋芸術大学

NUA OG

服部莉佳

はっとり りか

サックスプレイヤー

1990年
愛知県生まれ
2009年
音楽文化創造学科入学
2010年
第41回 山野ビッグバンド・ジャズコンテスト ベストランクアップ賞受賞(Jampa Swing Orchestra)
2011年
東海ビッグバンドコンテスト2011 優秀ソリスト賞受賞
2013年
音楽文化創造学科ジャズ・ポップスコース卒業
2013年〜
複数のBig Band・コンボバンドに所属しサックスプレイヤーとして活動

自分次第でどうにだってなる

 「これまでの人生でやりたいことができていなかったのが中学の3年間。高校のときには、親に音楽の仕事をしたいって相談してました」 これまでの半生を話してくれたのだが、これが、軽妙な語り口も相まって抱腹絶倒なのだ。具体的に音楽に関わる仕事に就きたいと思ったのは高校生になってからのようだが、それ以前から音楽への熱は上がる一方。ディズニー映画の音楽シーンをビデオで繰り返し見て育った少女が、いかにしてプロミュージシャンになるのか。音楽への思いは最初から熱いものだった。

 「5歳の頃だったか、習い事をやらせてあげるから一つ選べと。書道でもスイミングでもピアノでもいいし、なんでもいいから一つ選べといわれて、それでピアノを始めました。普通のピアノ教室でハノンやって、バイエルやって、ブルクミュラーやって」 ディズニーのビデオのように自分で音を出したかったという願望を叶えると、さらに音楽が好きになった。管楽器と出会うのは小学4年生のクラブ活動、ブラスバンドだった。ただしサックスではない。「音楽が、もう好きで音楽クラブに入って、トランペットをやったんですよ。今となっては根拠がよくわかんないんですけど、息を使って音を出す楽器にすごく惹かれていたんですよ、とにかく(笑)」 

 小学6年までの3年間はトランペットに夢中になった。中学になれば当然吹奏楽部へ、となるはずがそうは行かない。「中学校にあがるんですけど、中学校に吹奏楽部がなかったんですよ! それで校長先生に聞きに行ったんです、直訴です!『なんで吹奏楽部ないんですか!』『楽器がないから』で終わったんですけど。なんで吹奏楽部ないの、普通あるじゃん(笑)」 かくして前言の「人生でやりたいことができていなかった3年間」が始まる。学校で音楽ができないとなると、これまでやってきたピアノを続けることが現実的な解決策だった。それでも「アラン・メンケンを尊敬する」中学生は、クラシックよりも合唱曲の伴奏で鬱憤を晴らすような音楽生活を送っていた。

 高校に進学するにあたっては、吹奏楽部があることが絶対条件だった。「高校の願書を出す時期が来る、第一志望の高校に吹奏楽部があることをちゃんと確認する、見に行く、まあまあうまい、OK! 行きたい、みたいな(笑)。それで受験するじゃないですか、なんと受験で落ちたんです。たぶん照準が音楽に向きすぎてて(笑)」

 そうして不本意ながら第二志望の高校へ行くことになるのだが、そこに運命の出会いがあった。「第二志望には引っかかってるわけですよ、それで、行くのかと。ていうか、どこにあんのよ?という感じだったんです。尾北高校いう高校だったんですけど、行ってみたらまたしても吹奏楽部がないんです。だけど、ビッグバンドの部活があったんです!」 ここでトランペットをサックスに持ち替えることになるのだが、これも劇的。「ビッグバンドなのでサックス、トランペット、トロンボーンの3種類から楽器を選ぶんですけど、トランペットよりサックスの見た目がとにかくカッコ良かったんですよね。ちょっと吹かせて下さいといって“ブッ”て吹いたらもう気に入っちゃって、これにします(笑)。そこからは早かったですね、プロになりたいって」 

自分の中にあった音楽への思い、いつか出会えると思い続けていたものは、サックスと出会った瞬間“これだっ”とわかったという。高校のバンドで活動するうち「Jmpa Swing Orchestra」のことを知り、1年生の冬を迎える頃には本学に入りたいと思っていた。

 大学を卒業後は、プロとして活動を開始。プロミュージシャンにとって厳しい時代であることはご承知の通り。それでも、そんな時代の空気を跳ね返すように活動を続ける。「この数年で自分の中では一気に進んできているので、ちょっと追いついてない部分もあるんですけどね。15歳でサックスを始めて、人間とにかく10年間一生懸命やったら何かにはなるだろうと思って来ました。もしかしたら親に心配をかけることになるかもしれない。でも頑張ろうと思って来ました」 師匠である野々田万照氏からは、自分で自分を管理しプロデュースしていくことの大切さを教えられてきた。現在では活動の幅を広げ、曲作りを始め、音楽により深く関わりたいと考えるようになった。「昔は漠然と音楽を仕事にできたらどれほど幸せだろうと思っていましたが、今ではできるだけ長く音楽に関わって行きたい考えています」 走り続け、音楽への思いはさらに深く強いものになったようだ。

幼少期からクラシックピアノを習い、高校でビッグバンドに所属、ジャズとサックスに出会い音楽の道を志す。本学で、野々田万照氏に師事。在学中はJampa Swing Orchestraに所属しコンサートマスターを務める。卒業後はサックスプレイヤーとして活動。複数のBig Band・コンボバンドに所属し、作・編曲家、さらには講師としても活躍。自身のリーダーバンド「RH6(RHセクステット)」でも、名古屋を中心に活動している。

大学時代に所属していたJampa Swing Orchestraというビッグバンドサークルではコンサートマスターを務めていた。夏と冬に合宿があり、24時間楽器の吹ける環境で部員全員が猛練習をする

本学学生時代のライブ。現在もフロントマンとしてMCを担当することもしばしば。なぜか人を惹きつけてしまう魅力は天性のもの?

大学という場所は、自分を持ち上げてくれるわけじゃなく、サポートしてくれて横のつながりはたくさんつくってくれる場所だと思います。あくまでも自分次第です。横のつながりを作ってくれたことには本当に感謝してます
仕事としてやっていくためには、横のつながりをとにかく広げなきゃいけない。呼んでもらえるなら積極的に参加するようにしてスタンダードジャズも、ファンクもラテンもやります。生活のためでもあるし、より上手な人とセッションできるようになって自分も成長したいし。チャンスはそういうところにしか転がっていないと思います

リーダーバンド「RH6」は名古屋市内ライブハウスを中心に活動中。音を聴きたい、本人に会いたいというならぜひライブに。
# RICA HATTORI アメブロ

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