- 1967年
- 愛知県生まれ
- 1991年
- 名古屋芸術大学美術学部造形実験コース卒業
- 1995年
- 有限会社ハイ制作室入社
- 2000年
- 有限会社テンポ設立
- 2013年
- 名古屋芸術大学デザイン学部デザインマネジメントコース講師
- 2003年
- JAGDA GRAPHIC DESIGN IN JAPAN 2003 入選
- 年鑑作品展「日本のグラフィックデザイン2003」
- 2007年
- 愛知広告協会賞 入選(NTTドコモ PR誌)
- 2011年
- 愛知広告協会賞 入選(両口屋 シリーズポスター広告)
- 2012年
- JAGDA GRAPHIC DESIGN IN JAPAN 2012 入選
- 年鑑作品展「日本のグラフィックデザイン2012」
- 東京ミッドタウン・デザインハブ
- 2013年
- 「デザインモナート グラーツ 2013」 designHalle(グラーツ市/オーストリア)
- 2013年
- 「The book as ART」 galerie P+EN(名古屋市)
この先へと
通り側に大きく開いた窓と白い壁にウッドで統一されたインテリア。カフェバーのような大きなカウンターもある。おしゃれなオフィスというと見た目ばかりで無駄が多く、使いにくそうに感じるところも多いものだが、ここはそんなことはないようだ。大きなテーブルには、やはり大きなポスターの色校正が広げられ、ボトルやグラスが並んでいたと思われる棚には、資料と思われるグラフィック関連の書籍がびっしりと整列する。この場所がデザイン事務所としてしっかりと機能していることがわかる。則武氏が運営するデザイン事務所にお邪魔した。「独立したときに、光がよく当たる、外から見て何をやっているかわかるようにしようと考えました。きっと夜遅くまで仕事して引きこもってしまうと思ったんですよ。カウンターは、一時期ですがここで店をやっていたんです。もともと画廊だった場所で、棚もそのときからです」 デザインといっても、ポスターや書籍に限らずさまざまなジャンルに及ぶ。自主レーベルでCDもリリースしている。「お店の話は、あまりしたくないんです。迷惑をかけちゃった人もいますので……。デザインをやっている同じスペースで、緑茶を出す喫茶店をやっていました」 曰く、商業デザインはモノを売るためにすることで、デザインを考えるということはそのモノを売るためのことを考えることである。しかしほとんどの場合は、デザインしたのち販売の現場や成果を知る事がない。モノを「売る」事の直接的な経験は、デザインへのフィードバックが大きいはずである。かくして喫茶店を始めることになったとのこと。つまりデザインの実証実験だ。結果は、今現在、喫茶店のカウンターの上に色校正が置かれていることを見れば自ずとわかるが、失敗だった。「構造的に無理がありましたね。デザインの仕事をやっているのと同じ空間にお店があることに意味を感じていましたが、デザインと店の経営はどちらも片手までは済まないもの。力が分散してどちらも中途半端になってしまいました」 しかし、非常にいい経験にもなったという。「授業なんかで、ブランディングをしましょう、自分でブランドを考えましょう、ロゴを作りましょう、みたいな課題をやったりしますが、実際にやったわけですから。実際にやってみて、思い通りにいかず、体力的にも消耗しましたし、精神的にもショックでした。それまで、依頼を受けて店のロゴを作ったりしてきたわけですが。その都度、いいものを作ろうとお客さんに話を聞いて考えて、真剣にやってきました。でも、実際に体験してみると、オーナーの立場に立ってもっと細かく考える事があるなと実感しました」
CDのリリースは、知り合いのバンドをサポートする形で始めた。8センチのシングルCDをパソコンで焼き、プリント出力したジャケットを1枚1枚、手で折って、文字通り手作りした。「いろいろなことに手を出しているように見えるかもしれませんが、やっていることはデザインなんです。デザインを使う場所に多様性を持ちたいと思っているんです。例えばクライアントになってみたり、実際に商品を作って販売してみたり、そのときどういう問題が見えてくるかとか、自分でやってみることでわかってきます。お金の問題もあって、いくら印刷にかかり、いくらの利益が出るかを考えながら制作すると、力を入れるべきバランスやタイミングを考えるようになります。戦略も含めて、クライアントと一緒になってデザインするわけですよね」 グラフィックデザインの世界に身を置きつつ、クライアントのこと、さらにデザインすることの意味を実践することで確認する。そうしたことを繰り返してきたのだろう。
異論はあるかもしれないが、あえていうならば、これまでグラフィックデザインの業界は、大手の資本と結びつき商業デザインの範疇で発展してきた。このことは必ずしも悪いことではなく、大きな資本によって、美しいもの、贅沢なものが世の中に提供されてきた。文化を提供したといってもいいだろう。しかし、昨今では、こうした大資本の役割が変化してきたと話す。「インターネットが普及し、新しいコミュニケーションが生まれるなかで、人の趣味趣向が多様化・細分化しています。それに合わせてマスメディアも、形を模索している所だと思うんです。これまで、グラフィックデザインの業界は、企業や商業と深く結びついて来ましたが、社会が大きく変化してゆく中で、デザインに求められるものも大きく変わってくるのではないでしょうか」 今まで以上に費用対効果を問われる時代である。広告という制約はあったにせよ自由に発展してきたグラフィックデザインの世界が、このまま萎縮してしまうのだろうか。そうではないと話す。「グラフィックデザインの役割はどうなったかというと、なくなることは全くなくて、逆に概念としては有効で、むしろ企業だけでなくいろいろなところで求められていると思うんです。基礎に立ち返って考えてみると、視覚デザインのコミュニケーション力というのは変わっていません。もう一度、基本に戻ってデザインを組み立てていく必要があるように思っています」 3年ほど前から、本学の非常勤講師として学生たちと接してきた。そこに可能性を感じているという。「これまでCDや冊子出版など意識的にいろいろな分野のことをやってきましたが、これから世の中とグラフィックデザインがどうやって結びついて、どんなふうに変わっていくだろうと思うと、しかも、それを仕事としてやっていくとなると大変だぞ、という気持ちです。その反面、すごく楽しみな部分もあってワクワクします。社会との新しいつながりの可能性はたくさんあるはずです。学生と接していると、自分とは感覚が違うと感じることがあります。いい悪いではなく、彼ら、彼女らが育ってこれからのグラフィックデザインの世界を作っていくわけじゃないですか。かといって、突然全く違ったものが生まれる訳ではなく、これまでの積み重ねの上に新しいものが芽生えると思うので、こちらも柔軟に、これからの社会の変化を注意深く見ながら、楽しく美しい未来をともに模索していけたらと思います」
これから何が起こってくるかは予想が付かないといいつつも、「視覚デザインの基礎的な部分がしっかりしていれば、どんなに時代が変わったとしても対応していけると思います」と語った。業界に縛られてスキルを高めていったとしても、そのスキルはこれからの時代、偏ったものでしかないのかもしれない。これからの時代デザインが社会にどう関わっていくか、どう変わるのか。この先が見てみたいのだと語った。