特集

44号(2018年4月発行)掲載

第45回 卒業制作展開催

 寒さが緩み梅のつぼみがほころぶこの季節、本年も卒業制作展が開催されました。卒業制作展は、それぞれの学部、コースの卒業生による4年間の集大成として作品を発表する場です。例年ならば愛知芸術文化センターで開催となるわけですが、今回は改修工事のため休館となり、初めての試みとなる本学西キャンパスでの開催となりました。このため、会場の設営には大わらわ。教員も学生も、開場前日まで作業に追われ、作品のみならず会場までも、文字通り手作りの展覧会となりました。たくさんの人の手を借り作品と会場ができあがっていくプロセスは、紛れもなく4年間の学校生活そのもの! のどかで伸びやかな学校の雰囲気の中、作品と普段の学生たちの様子を見ることのできる和やかな卒業制作展となりました。            

上のアイコンをクリックすると、各棟で開催された展示をご覧いただけます。

※卒業制作展受賞作品のほとんどを掲載していますが、全ではありません。

同時開催

2月17日(土)

卒業制作展のオープニングセレモニーが行われました

 北名古屋市長 長瀬保様をお迎えし、竹本義明学長、芸術学部長萩原周教授が列席しました。司会、進行は美術学部美術学科アートクリエイターコース(美術文化)4年の黒崎真実さんが務めました。セレモニーは、竹本学長のあいさつに始まり、長瀬市長から祝辞をいただき、学生代表の美術学部美術学科アートクリエイターコース 木下千穂さん、デザイン学部デザイン学科 テキスタイルデザインコース新美汐里さんの2名が、自身の作品紹介を行いました。続いて、列席者によりテープカットセレモニーが行われ、音楽学部演奏学科の学生の金管五重奏よるファンファーレが鳴り響く中、名古屋芸術大学第45回卒業制作展の開場が宣言されました。

2月18日(日)

卒展記念講演会 Vol.1「『観光客の哲学』と芸術の使命」
講師 東 浩紀(株式会社ゲンロン代表、批評家)

 卒展記念講演会 Vol.1として、批評家であり作家でもある東浩紀氏をお招きし、「『観光客の哲学』と芸術の使命」という演題でお話しいただきました。「観光客」とは、これまでの哲学や現代思想ではあまり考慮されていない概念で、共同体の内側(村人)でも外側(旅人)でも存在を示し、内側と外側の両方に属し、また、どちらにも属さない存在です。しかし、歴史的に見れば、19世紀以降、人類は観光旅行をするようになり、今日では1日あたり500万人が国境をこえている現実があり、当事者と非当事者というだけでは括りきれない現在の世相を言い表しているといえます。カール・シュミットの政治理論、友敵理論を引きながら、アメリカのトランプ現象、イギリスのEU離脱、日本でも憲法改正論議などを例に、現代はどちらを支持するのか、「友」と「敵」を鋭く区分する社会になってきていると説きます。こうした現代社会の中で、賛成、反対だけではない別の形態の思考はないか、もっと柔軟に考えることはできないのかということで考え出されたのが、観光することによる「私」的な経験や感じ方。その変化が新しい見方や建設的な議論になるのではと提示します。現代は、SNSの普及などにもより、互いに監視し合うようなことになり、作家の表現が萎縮してしまうという問題も発生しています。「私」で処理していた部分も「公」に吸い出されることで、自由が奪われてしまっている現状があります。芸術家は、世の中の「友」と「敵」の区分を攪乱し、「私」が「公」に回収されないような表現を作ることで社会に介入し、その表現の鑑賞者を社会や「公」から引きはがし自由にすることが、その使命だと説明します。そうして、その実践としてゲンロンを運営し、チェルノブイリへのダークツーリズムであると説明しました。単純にすべての人が正しさを求めて「友」と「敵」に分かれる時代に、抵抗して欲しいとエールを送りました。

2月19日(月)

アートコレクションと若手アーティスト支援の楽しみ
『学市学座 コレクター・アイ・デイ』が行われました

 ゲストが非営利団体・ワンピース倶楽部代表の石鍋博子氏と名古屋支部長の山本真寿美氏、アートコレクターの田中英雄氏と林直樹氏が、司会進行は、家村佳代子氏(ディレクター・建築家・キュレーター・日本芸術文化国際交流財団理事など)が担当しました。
石鍋氏と山本氏はワンピース倶楽部の活動状況について、田中氏は、林氏と共に、ユニット『チーム・ガラパゴス』を作り、グループ展の企画や展覧会のカタログ制作、オルタナティブな展示スペースなどへのセルフビルド・サポートについて語りました。

2月22日(木)

2017年度ブライトン大学賞授与式と祝賀会が行われました

 「ブライトン大学賞」は、英国のブライトン大学が、本学の卒業制作作品の優秀者に贈る賞で、本学からは、ブライトン大学の学生に対し「名古屋芸術大学賞」を贈り、交流を深めています。ブライトン大学からDuncan Bullen先生(美術学部学部長代理)と、Patrick Dyer先生(テキスタイルコース修士課程コースリーダー)が作品を審査し、受賞者が決定。各賞の発表と入賞作品の講評が行われ、表彰状と賞金が手渡されました。その後、名古屋芸術大学後援会会長平井友明氏の挨拶と乾杯で祝賀会が行われました。

2月23日(金)

マラ工科大学教員による特別プログラム
「マレーシアのアートとデザインの教育現場から」

 マレーシアの文化の中で育まれたアートやデザインについて、現場で教育を行う専門家が来校しプレゼンテーションを行いました。発表された内容には、日本との関わりのあるものも多く、手捏ね(てづくね)と呼ばれる方法で成形した軟質施釉陶器である「楽焼」の作品や、日本のマンガやコミックを素材とした絵画、雑誌やコミック誌の表紙デザイン、アニメーションビデオ、アートのマーケットについて調査したもの、マレーシアの先住民族の手芸品や日用品のデザインについて研究したものなど、多彩な内容でした。

2月24日(土)

卒展記念講演会 Vol.2「“かざり”の生命」
講師 辻 惟雄(美術史学者)

 卒展記念講演会 Vol.2として、美術史学者の辻惟雄(つじのぶお)氏をお招きし、美術の中にある「かざり」に着目し「“かざり”の生命」という演題でお話しいただきました。美術やデザイン、特に日本の芸術は海外からも装飾を排除して成り立っていると考えられています。茶の湯を生み出し、虚飾を取り去った簡素で洗練された表現を求めて来たように考えられていますが、「かざり」はその逆です。その二つは矛盾しているようでいて、日本美術は両方を練り合わせるようにして展開してきたともいえると説明します。「かざり」という言葉は「かざる」という行為から派生してできた言葉であり、「かざる」という行為は、あるものを飾る役割だけを持ち、それ自体に独立した内容も目的もないため「Fine Art」(純粋美術)たり得ず、一段下位におかれることになります。しかしながら「かざる」という行為そのものは、人間の本性に根ざしたものであり、生のあかしであり、生の喜びの表現でもある。日本文化の中の「かざり」は、伸びやかで生き生きとしていると説明します。こうした「かざり」という、美術やデザインの中で消し去られたものにスポットを当て、もう一度、新たな眼でものを見てみようというのが講演の概要で、縄文式土器に施された「かざり」を皮切りに、歴史上の各年代を代表するような美術品、工芸品を見ながら、美術とデザイン、純粋美術と応用美術、さまざまな枠組みを飛び越えて、造形そのものの見方を提示していただきました。

2月25日(日)

ミニオープンキャンパスを開催しました

 卒業制作展最終日は、ADセンター、ギャラリー内に進学相談のブースを設け、美術領域、デザイン領域の教員に自由に質問、相談できる場が設けられました。作品の展示場所にも補助員らが待機し、見学に訪れた高校生や保護者の方々に、作品を解説したり、制作技術などの質問に答えていました。進学相談コーナーでは、教員に見てもらおうと自分の作品を持ち込む高校生や長い時間教員と話し込む親子などが見られ、いずれも熱心に相談する姿が印象的でした。

校内各所で展示、スタンプラリー、卒展ギャラリーカフェも

 作品展示は、西キャンパスの校舎全体を使って行われました。校内の随所に案内板が置かれ、展示の見学のため、観覧者はあちこち校舎を移動。スタンプラリーも行われ、オリエンテーリングや宝探しゲームのような楽しさもありました。ADセンター、総合受付の横では、学生の運営による卒展ギャラリーカフェも出店。販売されている作品やグッズを選びながら、休憩する来場者の姿も見られました。