自分から動く
軽く階段を駆け上がる身のこなしと、撥刺とした笑顔。さすが体育の先生と感じ入る。芸術大学という枠組みの中では、教員、学生を含め、あまりいないタイプの人である。東京に住む人は、公共交通機関が発達しているために、地方に住む人よりも日常的に歩く距離が多いという。駅の構内など知らず知らずのうちに長距離を歩いていたりするらしい。一方、北名古屋をはじめとする中京地方で生活する人間にとっては、公共交通機関よりも自動車のほうが便利であることが多い。通勤、通学、ショッピング、ついクルマに頼ってしまう。電車で通学する学生はまだしも、この地域に住みクルマを使う人にとって、運動不足はじつは切実な問題といえるのではないだろうか。学生でも、音楽あるいは美術、デザイン、人間発達と、自分の進む道を決めそこに邁進する人ならば、ことさら運動のための時間を捻出することは、なかなか難しいのではないかと思う。
「ラートの世界選手権に出場すると、1週間は選手権に集中し、大会が終わると自由に1週間過ごすんです。初めて世界選手権に出場した2009年、大学4年のときに、たまたまドイツ体操祭という大きなイベントがあり、それを見ることができたんです。そこで、体操の勉強をもっとやりたいと考えるようになりました」
ラート、本学の東キャンパスに通う学生には馴染みのあるスポーツだが、マイナーなスポーツである。最近徐々に増えてきたとはいえ、本学、筑波大学、琉球大学の3校が国内では伝統校なのである。そんなラートに出会うまでは、紆余曲折がある。幼少期には新体操、小学生時代は体操が好きで、休み時間に一人で鉄棒の練習をしているような少女だったという。面白いのは、球技が苦手で、ドッジボールの楽しさがまったくわからなかったから、球技に取り組んだということ。負けん気の強さを感じさせる。「苦手な球技を克服したくて、バスケットボールを始めました。結局、小中高とバスケをやりました」 ただし、大学では続けようと思わなかったという。「高校の時点で、私より上手い子がいて、どれだけやっても勝てないと思いました。私はシックスマン(ベンチスタートのサブメンバー。中盤でゲームの流れを変える役割が期待される選手。特別な使われ方をされることも多い)でした。試合でスパイスとしての役割は果たせたと思いますが、それ以上ではありませんでした。もともと、体操が好きなこともあり、集団競技や競うということに見切りを付けていました」 中京大学体育学部へ進学することが決まっており、より優れた選手の中でバスケットボールを続けていくことにも無理を感じていた。そんな折、出会ったのがラートだったのだ。
「体育学部へ入ってはみたものの、体育の道にすこし疑問を感じていたんですね。もっとほかにやりたいことがあるんじゃないかと。ほかにやりたいことが見つかったら学校を辞めてしまおう、それくらいの考えでした」 そこに現れたラート。大学の中の小さなサークルだった。もし大学を辞めることになったとしても、サークルの仲間たちとは仲良くできるなと考えた。さらに、もう一つの理由があった。「小学生の体操部では、“バク転”は補助の関係で練習させてもらえませんでした。やりたかったけど、憧れに終わりバスケに移ってしまったんですね。ラートを見たとき、バク転に近い動きをしているなと、小学生時代を思い出しました。18歳、19歳になり、身体が硬くなってきていることを感じていて、もうバク転はできないだろうと思っていたんですが、これならと(笑)」
やりたいことを探すつもりが、ラートにのめり込んでいった。やればやるほど楽しくなり、夢中になっているうちに大学3年の全日本選手権で第4位になり、世界選手権へ出場することが決まった。
日本代表、その実績は非常に大きなものだった。学生時代、アスリートを目指す専攻ではなく、健康科学科という指導者を育成するような専攻だったのだが、一躍トップアスリートの仲間入りを果たした形になった。友人も先生も自分に一目置くようになった。「実績の大切さは身に染みて感じましたね。正直なところ、良いと思うことも、逆に鬱陶しく感じることもありました。バク転に憧れて始めて、人の技を見て、あれをやってみたいと続けてきて、もっともっと先の世界を知って、私もあんな演技がしたいと具体的になったのが初めての世界選手権。憧れの選手がいて、その選手にすこしでも近付きたいと思ったのが2度目。でも、やってみて、やはり私のカラーじゃないと思い直し、私らしい演技がしたいなと思ったのが3度目の大会でした。「日本代表という実績のおかげで、筑波大学の大学院に進学することができ、素晴らしい環境で、より一層ラートに励み、そして体操に対する知識や技術を習得していくことができました。今後も開拓は続きますが、間違いなくラートは自分らしい道が開けたきっかけです」
遠征先の海外で目の当たりにしたのが、運動との付き合い方だった。「2011年には世界体操祭に出場しましたが、ヨーロッパでは、40代50代の方はもちろん、80歳くらいの方も、日常的に音楽に合わせて身体を動かしたりして、健康で楽しそうな生活を送っているように見えました。恒常的に運動のできる生活、スポーツというほどでなく、軽く身体を動かして楽しい、気持ち良い、そんなふうに感じる人をもっと増やしたい、そんなことを考えるようになりました」
身体は、感情や思考と密接な関係がある。身体を動かしていないことは、健康面のデメリットだけでなく、思考や行動にも影響しているのではないかと危惧する。「現代は、情報が簡単に手に入ります。それでおなかいっぱいになってしまい、自ら行動して欲しいものを手に入れるという経験が少なくなっているように思います。身体的なことだけでなく、自分で能動的に考え行動する、そういう部分も減っているのではないでしょうか。自主的に行動していないので、そこには薄い学びしかありません。授業の様子を見ていると、具体的な課題はこなすけれど、自由さが加わると戸惑い立ち止まってしまう学生が多く見えます。『やってみたい』を具体的に行動することに対して難しいと感じる生徒が多いことに気づきました。私の場合は、体育を通じて運動の『やってみたい』を増やし、実現に向けて行動をする癖をつける。その癖が日常生活の自主性につながることを願っています」 自分で行動することが、新しい扉を開け広い世界へ連れ出してくれたと、自身の経験を振り返る。スポーツに限った話ではなく、領域を超えて通じることである。