合う、離れる
西キャンパスの中でも一番西側のC棟にある真新しい研究室。メタル工房、セラミック工房の2階に設けられたこの研究室は、これまで院生が使っていた部屋で、この4月に改装されたばかり。簡素な空間にはまだ梱包を解かれていない荷物もある。そして、白い壁には、儚げに見え、しかし確かな存在感のある作品が飾られている。
漂白されていない自然な和紙の色。生成りよりも、さらに黄色みが強く、ものによっては年代を経た象牙のように、さらに深みのある色合いを見せる。ひとつひとつが異なった肌合いを持ち、縮れた皺が規則正しい布の織りを感じさせるものもあれば、まるで脱皮した爬虫類の皮を連想させるようなものもある。それらが、空調の流れに合わせて、震えるように揺れている。「手漉きの和紙って面白いんですよ。天日干しなんですが、晴れた日に干すと白、曇りの日だと黄色くなるんです。漉いた時の天候で、全部色が違うんです。奈良の福西和紙本舗さんの和紙なんですけど、原料のこうぞもご自分の畑で栽培しておられて、作物なので年によって違いますし、手で触った感触もひとつひとつ違っています」。
作品は、和紙を湿らせ、よく水分が染みこんだところで指で引っ張り、紙が切れるすんでのところで止め、曲面や立体としての調子を作り出したもの。濡れている時に作られた形は、乾いていく過程で繊維の結びつきが固定され、そのままの形を留める。「これは、金属の鍛金技法と同じなんです。金属の板を熱して分子構造を変え、叩いて形を作りますが、これは火の代わりに水を使い、形状を変えられる状態にして徐々に形を作っていく。大学時代に学んだ技法の応用です」。
「子供の頃は、さほど美術は好きではなかったんです」 美術鑑賞が趣味だった父親に連れられ幼い頃から毎年の日展や美術展を見に行っていた。しかし、関心は専ら帰り道に寄るアメ横の寿司や鰻だったと笑う。小学生の頃は、自宅で本を読んでばかりいる子供だった。現在なら、登校拒否や不登校といわれてしまうだろうが、当時はもう少し社会も緩やかだった。学校へ行くことを厳しく諭されたわけではなかったというが、親には苦労をかけたと話す。
美術に関心を持つようになったのは、高校生になり進路を考えたとき。小学生の頃から数学が苦手で、自分にできそうなことを絞っていくと美術に辿り着いた。予備校に通うようになり、毎日、終電までデッサンに励んだ。「1年浪人して、朝は始発の電車で予備校へ行って、帰りは終電。帰ってからは平面構成をやって、机に打っ伏して寝てしまい、そのまま朝になり出かけるような生活をしていました。予備校の先生には、彫刻に向いているんじゃないかといわれましたが、当時女子はほとんどおらず、友達がいるところがいいなとデザイン科を選んでいたんです。ですが、デザインで受験となると数学があり、それで工芸科にしたんです。主体的に選んだんじゃないんですよ」。
大学では伝統的金工技法を学んだが、70年代後半はコンテンポラリーアートの全盛期。既存の価値を解体しコンセプトを構築して作品を作る先生や先輩に影響を受けて傾倒しながらも自分は作品とどう向き合っていくべきかわからなくなった。「受験という目的があった予備校時代はそれに向かってまっしぐらでしたが、大学へ入ると自分の好きなことをすることになります。それで逆にすごく悩みました。社会的な概念の破壊という大きな物語より、もう少し個人的な所に感受性がある自分はそれを出しても良いのか、すごく心もとない時代を過ごしました」。
そんなおり、出会ったのがクレス・オルデンバーグの「ソフト・ドラム・セット」という作品。一連のソフトスカルプチュアシリーズのひとつで、織物やゴム、ラバーなどを使った柔らかな立体作品である。「頭では理解していたことですが、実物を見て初めて好きにやって良いのだと思いました。硬い金属で表現するだけでなく、本当に柔らかいものを使ってもいいんだと。硬いものであるべきドラムセットが、柔らかくキュートにも感じて、涙が出てきました」。
そして和紙に出会う。「縁あって和紙を使う作品を作ることになったのですが、紙を見せてもらうとそれ自体が完成されていてこれ以上加えるものがないと思いました。そして後ろを向くように製造工程を遡り、水に浸けて紙をほどくことを考えました」 繊維と繊維が絡み合い接合することで和紙は成り立つ。和紙をほどいていくと、それを作るまでにどれほどの手間と大量の水が必要だったか、頭で想像する以上に理解することができた。木の繊維を煮て水に浸け木槌で打ち、細かくした繊維をネリ(植物の根から採取した粘液)とともに水に入れて紙を漉き上げる。膨大な水と時間が集まり和紙ができる。「私にとって和紙をほどくことは繊維のくっつき方を理解する手がかりになり、“合う”と“離れる”は同じ源泉からきているのかもしれないと考えるきっかけになりました。人生も、自分一人で生きてきたつもりでもいろいろな“合う”で、自分ができ上がっているのではないかと」。
「和紙を使うことで米糊を知り、書や絵や掛け軸を知り、そこから自分を取り巻いている暮らしや自然はみな関係し、つながっていると思うようになりました。制作も、作品作りを人生の中心にすえストイックに作家としてやっていくことも大事ですが、自分のまわりの生活、家族や生活環境も含めた中で制作を続ける道もあります。いろいろなことをひとくくりに合わせて、細いけど長く作品制作に関わっていきたいと思っています」。
作品に共通しているのは、素材に聞いて作業をすること。「学生時代、金属の温度は色で見て、硬さは音で聴くように、素材に聴いて心を添わせると学びました。和紙の水分は目と指で聴きます。素材が丁度良い時を教えてくれてその時に制作します」 工芸の伝統技法を学んだことが、今の制作に役立っているという。