アーティスト的な発想とセンスも必要
名古屋市内、栄の裏路地、雑居ビルの2階にあるStudio NESTにお伺いした。呂布カルマ氏のレコーディングも、このスタジオで行われている。スタジオになる以前は小さなスナックだったそうで、その頃使われていたとおぼしき、カウンター用の座面の赤いスツールが2脚。このあたりにカウンターやボトル棚があったのだろうと想像させる。
古川さんは、レコーディングエンジニアとして活動するほか、アーティストネーム 鷹の目として楽曲制作を行い、ステージにも立つ。呂布カルマ氏のトラックも作っている。「最近は、裏方のほうが多いですね。エンジニア志望で大学へ入ったので。もともと音を作っていて、自分でラップをやったりしていたこともあったんですけど、いざプレイヤーとしてステージに立つと、あまりそういうのは好きじゃないなと。人前で何かやるのは、あまり楽しいタイプではなく、裏方がやっぱりいいんですよね(笑)」。
小学生の頃からギターを始め、中学、高校とヘビメタ少年だったという。ユニークなのは、バンドを組むことよりも一人で弾くことのほうが好き、ギターを弾くことよりも音作りのほうに時間をかける、と興味が移り変わっていったこと。「アンプから出る音が気になるんですけど、バンドマンはあまり気にしなかったりしますよね。音作りにかける時間がどんどん増えていき、そっちのほうが好きなんだな自覚するようになっていきました」 。
大学への進学を考えたとき、音楽のできる大学、しかも演奏家としてではなくエンジニアとして学ぶことができる大学、これが条件になった。「当時、名古屋芸大の設備は、NHK払い下げのレコーディング卓が入っていて、スタジオの設計もよく、たぶん名古屋では三本の指に入るステジオなんですね。それが使えるというだけで志望動機になりましたね」 なんでも一人でやりたい完璧主義的なところがあり、「長江先生も把握していて、難しい奴やなと思っていたと思います」と笑う。
クラブへ通うようになると、CDをリリースせず、そこで終わってしまっているアーティストがたくさんいることに気付いた。CDや音源を何かの形でリリースし、そうした状況を変えたいという気持ちを持った。「当時は、今のようにレコーディングできる環境がなく、実際に録音する人もあまりいませんでした。大学3年の頃だったと思いますが、授業以外で友達のバンドを録音していましたが、知り合い以外も録ってみたくなり、名古屋で活動しているラッパーを探し始めました」。
そうして、呂布カルマ氏と出会う。
「スタジオ経営とレーベル、呂布さんやほかのラッパーのCDを出しているんですけど、比率としてはレーベルの仕事が若干多いですね。スタジオは、料金設定をあまり高くしていなくて、名古屋の10代の子なんかが気軽に録りに来る、そうした感じで使ってもらえればいいかなと考えています」 JET CITY PEOPLEは2010年に設立され、これまでに20枚ほどのCDをリリースしてきた。CDの制作に加え、宣伝活動もすべて自分たちでこなし、PVなどの撮影も自分たちで行っている。「最近ではメジャーレーベルであることのメリットが全然なくなってきてるんですよね。リスナーもほとんどYouTubeやアーティストのTwitterなんかで情報を得ています。今からこの人を売りだそう、そういうときにメジャーのほうが優れている点が本当になくなっています」 そうした現代に、厳しいながらも可能性を感じているのは呂布カルマ氏とも共通するところ。どうやっていけばいいか、模索していくしかない。
エンジニアという職業も変わってきているという。「技術的なことをいえば、3ヶ月くらいPCをいじっていれば、そこそこのクオリティのものが個人でもできるようになりました。こだわれば、アナログ機材とかキリがないのですが、正直、リスナーには伝わらないというか、自己満足みたいなところがあります。技術的なことよりも、エンジニアにはアーティストと同じような感性が必要ではないかと思います。エンジニアの仕事は、統一されてる基準みたいな価値観があって、そこまで仕上げるという考え方だったと思うんですけど、今はそこに個性を加えられる人が必要とされています。この人の音が出せる人。すべての基準をクリアした上で、色を付けられることが必要とされているのではないかと思います。その人の意図を汲んで、力になるという感じです」。
音楽に対する妥協のない姿勢と音楽市場への冷静な視点は、アーティストであり、制作者であるがゆえであろう。