2026年5月5日(火)~5月26日(火)の期間中、Art & Design Center Westにて「第27回 亀倉雄策賞 受賞記念展 林 規章 グラフィックデザイン展 “VENUS”」を開催しています。本展は、本学デザイン領域(当時・デザイン科)卒業生であり、現在は女子美術大学・大学院教授としても活躍するグラフィックデザイナー・林規章氏の、第27回亀倉雄策賞受賞を記念して開催されたものです。
林氏は1964年岐阜県生まれ。1987年に名古屋芸術大学を卒業後、グラフィックデザイナーとして活動を開始し、HAYASHI DESIGNを主宰。ブックデザインやポスター、広告など幅広い分野で国際的に高い評価を受け、JAGDA新人賞、東京ADC賞、東京TDC賞など、数々の国内外の賞を受賞しています。
今回受賞した「第27回亀倉雄策賞」は、日本のグラフィックデザイン界で最も権威ある賞であり、JAGDA年鑑『Graphic Design in Japan 2025』掲載作品の中から、全国1,777作品を対象に選出されました。受賞作は、女子美術大学大学院/3年次編入/短大専攻科の学生募集ポスターです。美術教育の現場で人体デッサンと向き合う学生たちの視線を背景に、女子美術大学の頭文字「J」を人体のMass(量感)やTorso(胴体)の構造へと変換し、抽象的なヴィジュアルとして成立させたシリーズで、20年にわたる継続的な研究と実践が高く評価されました。
展覧会タイトルにもなっている“VENUS”シリーズは、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケ像といった古典彫刻を出発点としながら、それらを単純に引用するのではなく、形態を極限まで抽象化し、線・面・点・リズムへと置き換えていく試みです。人体や翼の構造を記号として解体しながらも、なお「ヴィーナスらしさ」を感じさせるギリギリの地点を探り続けています。
会場には、女子美術大学のポスターシリーズに加え、今回の展覧会のために制作された、名古屋芸術大学をテーマとした新作ポスター群も展示されました。テーマとなったのは、「Nagoya University of the Arts」という大学名に含まれる “the Arts” という言葉です。林氏は、「芸術が単一ではなく、音楽と美術をはじめとする複数の領域の重なりによって成立していることに惹かれた」と語ります。
新作では、音楽と美術という二つの異なる要素を重ね合わせ、一つの総合芸術としての“Arts”を表現。どちらが音楽でどちらが美術という明確な区分ではなく、互いの要素が混ざり合い、一つの形へと変化していく構造が追求されました。線と面、点線と実線、静けさとリズムが交差する画面は、まるで音楽を奏でるような感覚を持ち、本学ならではの空気感を象徴する作品となっています。
この新作制作では、本学デジタル工房・印刷工房との協働も大きな特徴となりました。B0サイズの倍という巨大なデジタルプリント作品に加え、片山浩准教授を中心に、本学の学生・大学院生・スタッフが参加して制作したシルクスクリーン作品も展示されました。
シルクスクリーン作品では、「ハーフエア」「アラベール」「ロベール」「モロー」の4種類の紙を使用し、それぞれ異なる質感や発色を実験的に検証。さらに、女子美術大学とは異なるメーカーのインクを用いながらも、女子美術大学で制作されたポスター群と色調や印象を揃えるため、細部に至るまで調整が重ねられました。
林氏自身、「デジタル化が進んだ今だからこそ、版を用いるシルクスクリーンのようなプリミティブな方法に意味がある」と語ります。デジタルでは完全に制御された出力が可能になった一方で、版ズレや紙の吸い込み、インクの差異といった偶然性や不完全さを含んだ表現に、グラフィックデザインの豊かさが宿るのではないかという考えです。
展覧会初日には、ヴィジュアルデザインコース・則武輝彦教授を聞き手として、林氏による学生向けトークも開催されました。会場では、自身の学生時代から現在に至るまでの歩み、そしてグラフィックデザインに対する姿勢について語られました。
林氏はまず、自身が名古屋でデザインの仕事を始め、その後、まだインターネットが無かった時代に、情報や仕事の中心であった東京へ向かったこと、広告の現場を経験しながら現在のようなグラフィック表現へと辿り着いた経緯を振り返りました。現在の活動は突然生まれたものではなく、長い時間をかけて試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ形になっていったものだと語ります。そして話題は、「作る」という行為そのものへと向かっていきました。
近年、デザインはコンセプトや言葉によって説明される場面が増えています。しかし林氏は、「まず形を作ること」が何より大切だと強調します。頭の中にイメージがあっても、それだけでは存在しないのと同じであり、「描いた瞬間に初めて現実になる」といいます。だからこそ、まず手を動かすこと、考えるだけではなく実際に作ってみること、その過程でしか見えてこないものがあると語りました。
VENUSシリーズについても、最初から完成形が見えていたわけではありません。ミロのヴィーナスやニケ像を観察し、形を抽出し、さらに削ぎ落とし、線にし、面にし、また崩していく―その反復の中で、「どこまで削ってもなおヴィーナスとして成立するか」を探り続けていたと語ります。
また、線や点、色についての考え方にも触れられました。ほんの小さな点ひとつでも画面全体の空気が変わること、規則正しい構成の中にわずかなズレを入れることで、人の感覚に引っかかるリズムが生まれること、線一本にも強さや速度、感情が宿ること――。グラフィックデザインは単なる装飾ではなく、こうした最小単位の積み重ねによって成立する「形の言語」なのだという考えが示されました。
さらに林氏は、「コンセプトを説明しすぎること」への違和感についても触れています。もちろん思想や考え方は必要ですが、それを最初から言葉で固定してしまうのではなく、「まず形が立ち上がること」が重要なのではないか、形を徹底して追い込んだ結果として、後から意味や解釈が立ち上がってくるのだと説明し、その順序を大切にしていると語りました。
その姿勢は、効率やスピードが求められる現代への静かなアンチテーゼにもなっています。「めんどくさいことをやること」が重要だという言葉も印象的でした。試行錯誤や失敗、遠回りを避けず、時間をかけて形を探ること。デジタルによって効率化された時代だからこそ、そうした身体的な制作行為の価値が、逆に際立つのではないかと語りました。
また学生たちに対しては、「大学という場所は正解を覚える場所ではなく、自分なりの答えを探す場所」だと説明。不安や迷いを抱えながら制作すること自体に意味があり、その積み重ねがやがて表現になっていくと語りました。
全体を通して林氏の言葉から伝わってきたのは、“グラフィックデザインとは何か”という問いを、言葉ではなく「形」によって考え続ける姿勢でした。手を動かし、線を引き、崩し、また作る―その繰り返しの中からしか生まれないものがある。今回の展覧会は、そうした林氏の長年の探究を示すと同時に、いま学ぶ学生たちにとっても、「作ること」の本質を問いかける機会となりました。