(写真左) 工芸コース 中田ナオト准教授
(写真中) テキスタイルデザインコース 扇千花教授
(写真右) メタル&ジュエリーデザインコース 米山和子教授

領域横断陶芸×ガラス×テキスタイル×メタル
工芸分野領域横断スタート

 本学では、工芸コース(陶・ガラス)は美術領域に、メタル&ジュエリー、テキスタイルはデザイン領域に分かれています。以前から工芸分野の交流は行われてきましたが、今年度から工芸分野領域横断を推し進めています。工芸分野の展覧会を連続開催する「工芸リレー」、大学外来者宿舎“グリーンシティ”の住環境を改善する「グリーンシティプロジェクト」、第38回伝統的工芸品月間国民会議全国大会(KOUGEI EXPO IN AICHI)に出展する「工芸EXPOプロジェクト」の3つのプロジェクトが進行しています。また授業では、美術とデザインの工芸分野の学生が交流するプログラムを行っていきます。
 本来、工芸とは日常生活の中で使われている道具に、素材として、技術として、デザインとして美しさを備えたもので、それを作ること自体も工芸とされています。歴史的に考えれば、工芸は美術の概念が海外から持ち込まれた明治時代以前から存在し、とても身近なものです。美術、デザインという領域では括れないのが工芸であるとも言えます。また、いずれも素材を使って自らの手で創作するという共通点もあります。
 工芸リレーの会場で、テキスタイルデザインコース 扇千花教授、メタル&ジュエリーデザインコース 米山和子教授、工芸コース 中田ナオト准教授に、工芸分野領域横断についてお話を伺いました。

連携でどんなことが起こる?

米山:美術の領域では、分野を横断して、それをもとに表現したり、共同作業したりすることが以前から行われていますが、今回はデザインと協働するという形をとりました。美術という大きな括りの中ではそれほど特別な意識はないと思います。デザインは何かを解決するという方法論をしっかり持っていて、美術の世界の開かれた問いみたいなものにデザイン的なアプローチの方法を持ち込むことは、美術にとっても異なる視点が生まれるのではないかと思います。そうした点からもすごく良い展開になるんじゃないかと、私はポジティブに考えています。

中田:もともと僕自身、デザインから美術へ流れてきた人間です。デザイナーになりたくて大学に入ったけれど、あるとき方向転換というか、意識が変わっていきました。デザインの中だけでデザインを考えていても、工芸の中だけで工芸を考えていても詰まってしまう。そのことに大学在学中に気が付きました。「工芸リレー」では、メタルの講評会に、引っかき回すといってはなんですが、変なこと言ってるなぐらいの感じでいいと思って参加しました。それには気付けなかったなと時間が経ってからわかるみたいな、そういうきっかけになればいいと思っています。わだかまりを残すようなことがないとその次に発展していかないので、僕はバグを起こすために行ったみたいな感じですね(笑)。
最近、人とのやりとりは工芸素材とのやりとりに似ている気がしています。コントロールできない何かが存在していて、なんとかしようとアプローチするけれど、勝手に思わぬことになっていってしまう。それで作り手としての僕らは、どうやってそれを解釈していこうかと思案する。その問いかけとリアクションがあって、それでしか育まれないものがあるのかなと思います。

:素材って自分とは違う他者なんですよ。私たちは日々、その他者に対峙して制作している。それぞれの素材によって違いますが、思い通りにはなかなかならない。出てきた結果を見ながらこちらも考え方を変え、寄り添ったり、ねじ伏せたりするというのもあるかもしれませんが、そこから次のアクションが始まる。工芸では共通してますね。

米山:とりあえず目標に向かっていくんですけれど、必ず素材にねじ伏せられてしまって、わーっ、どうしようとなって、そこからもう一回始まる。そうすると最初に思っていたものよりも良くなることが多いですね。

:だいたい良くなるものですよね。自分の経験としてはそう。失敗だと思ったことや、思い通りにならなかったことが、面白かったり、新しい魅力を発見したり。

中田:起きたことに反応していかないと、紋切り型になってしまう。すでにあったことをなぞっていると、それ以上にも以下にもならず、ただできたなというだけ。それではその先が見いだせない気がするんですよね。

自由にならない、思った通りにならないことが大事

:学生は、工芸をただ美しいものと思っていて、美しいお茶碗とか、美しい織物というようにイメージしています。ところが実際の作品では、思い通りにできず美しいの概念からはみ出てしまいます。学生はそれが許せない。でも、失敗だと思っている部分が、見方を変えれば面白い作品になっていることもあります。その人の手の動きと作品がマッチして良い味になっていたり。そうしたことを講評会では評価して伝えます。学生たちにとってみれば、失敗したと思っている部分を良いと言われるわけで、中田先生がおっしゃったみたいにすぐには理解できないかもしれません。卒業後にわかるということもあると思います。そうしたことは私たちも経験しています。昔、自分の作品で言ってもらったことに、そういうことだったのかと数年後に気が付く、そういう経験をみんなしていますよね。その人の手の動かし方、器用だったり、不器用だったり、かえって不器用な人のほうがその人にしかできないものが生まれる可能性もあります。いろんな視点で見て、そうしたことを積極的に認めていきたいと思っています。

中田:学生はよく勘違いします。とくに大学に入りたてのとき、「私、上手くできないから」とよく言います。じゃあ、なにをもって上手いと言っているのかと。だから『下手に描く』いう課題も出すんです。すると描けないんですよね、下手を上手く描いているんです。上手さに対する刷り込みがあり、それに対して上手くできないと言っていて、自分がやったことに対しての他者や素材のリアクションをきちんと判断していない。自分の思い込んでいることとの整合性しか考えていなくて、新しいことに気付こうとしない。話をしていて気付くことや、話題がどんどん変わること、こういう育みが素材の中にはあるような気がします。わかりやすさばかりが持てはやされる時代の中では難易度は高いのかもしれませんが、そこが工芸の面白さなのかもしれません。

:工芸ではとくに、ものの成り立ちが大事ですね。それはどのコースでもやっています。

米山:技術では測れないところに魅力を発見することもあるし、自分だけではそれになかなか気づけないことが多いので、この様な連携でいろいろな物や人と関わりながらわかっていく、そこに意味があるのだと思います。

:今の学生は、自分の意思通り行動してきたと錯覚するように育っていると思います。ふんだんにいろいろなものを与えられて、良い消費者として育てられていると感じます。だけど、制作にかかわるとそれでは立ち行かないことがいろいろ起きてくるわけです。自分の思い通りにならないことと対峙しなくてはいけないことになる。そういうことを3年、4年とやっているうちに、だんだんわかってくる。もの作りをしていくうちに世の中や世界を理解していくみたいな、そういうところがあります。工芸は頭でっかちになれないんですよ。

中田:素材を通して実感を得る領域とも言えますね。

:実感を得ないと、新しい素材の扱い方って出てこないじゃないですか。まず実感を得ること、それができると先に進んでいけますよね。

米山:土や金属は、地球の中にあった自然物が素材じゃないですか。考えてみると、人間も自然物だから、そこで馴染むことや馴染まないこと、素材と同じように人間にもあるんだなと感じます。降り積もったものが土になり、動物や植物がテキスタイルになる。昔から今までずっと人間の身近にあったものです。ですから、人間もすでに素材なんだなと思うことがあります。

中田:そうなんですよね、やっぱり素材と人間って同じなんだなと、そんな気がしています。

工芸コース 「陶・ガラス教育機関講評交流展 CONNEXT 2021」

アートクリエイターコース、工芸コース、岐阜県立多治見工業高校専攻科、富山ガラス造形研究所による合同展覧会。各学校から学生も来校し、講評会も開催

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メタル&ジュエリーデザインコース「素材展」

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テキスタイルデザインコース「素材展」

2,3,4年生の前期課題である図案、絞り染め、草木染め、フェルト、組織織物、紡ぎ、友禅染め、ムードボードなどの作品を展示

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