教授/美術領域主任(日本画コース)

長谷川喜久

はせがわ よしひさ

 1988年金沢美術工芸大学大学院修了。上海美術館や岐阜県美術館、古川美術館などでの大型展示を展開しながら、建仁寺塔頭両足院の為の花鳥図屏風(2016年)や瑞龍寺塔頭天澤院の迫力ある双龍図襖絵(2019年)というトラディショナルな仕事もこなす。
 また野口五郎氏が発表した数々のヒット曲から着想を得た展覧会や空想の動物園をテーマにした展示などプロデューサーとしての活動も多く、従来の日本画家のイメージを大きく飛躍させている。

価値と価格の間にも、学びがある

アートが社会とつながるための場所

 名古屋芸術大学の美術領域が、百貨店・松坂屋と連携して開催するアートフェア『artists N,G,Y』は、学生と卒業生の作品を実際に販売する取り組みとして注目を集めている。大学が主導して作品を『売る』という行為は、これまでの芸術教育の枠を一歩超える試みだ。
 「作品をつくるということ自体はもちろん素晴らしいことです。でも、他者が関わることで生まれる価値というのは、それとはまったく別の次元なんです。自分が描いた作品が、誰かの手に渡り、その人の生活の中で意味を持つ。その瞬間に、学生たちは“自分が社会の中で存在している”という感覚を初めて実感するんです」。
 長谷川教授は、この『他者との関わり』こそが芸術教育において欠かせない体験だと語る。
『artists N,G,Y』は今年で3回目を迎えた。初回は松坂屋南館オルガン広場、3回目の今年度は、大きく規模を拡大し8階フロアを全面的に使った構成となった。
 「今までは、美術大学が“作品を販売する”ということ自体、あまり考えられてきませんでした。でも、作品が社会に出て、さまざまな場所で人の手を経ていくことで、また新しい価値を持つ。その仕組みを学生時代から体験できる場が必要だと思ったんです」。
 來住学長が語る『価値と価格の両輪』という考え方を、美術領域は具体的に具現化している。
 「価値だけを追い求める理想論でもなく、価格だけを見る商業主義でもない。その中間にある“社会との接点”を、学生が自らの手で掴む。それがこのアートフェアの意義ではないかと思います」。
 來住学長は、美術領域に対して「作品制作の力に加えて、市場でどう評価されるかを理解する教育を強化する」と語っている。学生にはまず多くの作品を見せ、展示や販売など多様な場で作品がどう受け止められるかを経験させる。さらに、可能であれば他の作家の作品を『所有する』ことも勧めている。『好き嫌い』と『価格』という二軸で価値を体験的に理解することで、学生が自らの進路を主体的に選び取れる力を育てる。そうした理念を、長谷川教授はこのアートフェアを通して実践している。

“売る”という行為の向こうにある学び

 芸術の世界には、長く『作品に値段をつけることは俗っぽい』という意識があった。しかし、それを乗り越える時期に来ているのではないだろうか。
 「アートは、本来自分の内面を純化させて表現する営みで、そこに数字を持ち込むことへの抵抗感は確かにありました。でも、学生たちはこのあと社会に出ていく。そのときに“自分の作品の価値をどう伝えるか”を知らないままでは、次の一歩を踏み出せません」。
 実際に販売を通して作品が他者の手に渡ると、学生たちは大きな変化を見せるという。
 「値段をつけ、誰かが自分の作品にお金を払うという行為は、学生にとって想像以上に大きな経験です。“自分の作品には意味がある”と確信できた瞬間に、表現の質も変わる。このフェアは、そうした“自信の起点”を作る場になっているんです」。
 それは、來住学長が語る『価値を社会に循環させる教育』にも通じる。アートを社会に開き、他者の目に触れさせることによって初めて『意味』が生まれる。作品が『個人の表現』から『社会の共有財産』へと変わる、その実感である。
 「作ることが目的でもいいんです。でも、誰かに見てもらうことで生まれる次の表現がある。学生や卒業生がその体験を積み重ねていけば、自分の活動を社会の中でどう位置づけるかが見えてくる」。

多様なゴールを示す教育へ

 アートフェアは、学生と卒業生だけでなく、卒業生、また一度活動を中断した作家たちの場にもなりつつある。
 「卒業生の中には、一度制作を止めてしまった人もいます。でも、もう一度作品を社会に出したいと思う人たちが戻ってこられる場としても、意味のあることだと思っています」。
 そしてその広がりは、『アートのゴールは一つではない』という考えと重なる。
 「美術館に収蔵されることも、誰かの家に飾られることも、公共空間で人の心を癒やすことも、どれも正しいゴールです。アートは“自分のため”だけでなく、“他者のため”にもある。学生たちがそう実感できるような環境を整えるのが、大学の使命だと思っています」。
 作品を作り、社会に送り出すこと。表現技術を守りながら、時代の中で新しい出会いを生み出す。『artists N,G,Y』はその象徴的なプロジェクトといえる。